終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

2月が終わるというちょっとした寂しさ

2月があっという間すぎて感情が追いつかないっていう話
こんにちわ僕です。

1月はいってしまう、2月は逃げてしまう、3月は去ってしまう、ことでおなじみの年初3ヶ月。
この言葉を聞いたのは幼い頃でしたが、皆様も同じように時間があまりにも早く過ぎてしまうなという感情はお持ちでしょうか?
とはいえ4月以降ゆっくり進行するのかというと全くそんなことはなく、なんだか知らないけれども慌ただしくなっているんじゃないですか?

最近あまりにも暇だということで、やっていなかったことをやるようになっておりました。
結果としてここ数年の記憶が消えていていることに今日気が付きました。
消えているというと語弊があるのは承知しています。
久しぶりに商談で自己紹介がありました。
もともと苦手だったんですが、『なにでJavaとかjavascriptを書いていました?』という質問があり、たしかに職務経歴書にはJavaと書いているけれどもJavaそのものを成果物とした仕事ってやったっけ?と思ったところないなと思いましたが、書いて履いたので『Eclipseです』と答え、JavaScriptについてはツールすらも思い出せず、Unityでも使っていたけど、早めにC#に移行したし、えーっと、昔使っていたエディタはなんだっけな。でも今思うとずっとnotepad++を何故か使っていたんだよなって思って、正直なところ思い出せませんでした。
一応VSCode使って書いてました。と言いました。
jsというよりもモックを作るのに便利というぐらいで、と言いかけて、そうだ僕はたくさんの数多のモックを作成している人間であり、むしろ本番実装はほとんどしてこなかったんだよなって言うことを思い出しました。
そういえば最近p5.jsを久しぶりに触りました

更にここ数年で言えば調査や検証を多くしてきていて、それを仕事にできればよかったんだよなっていうふうにいまさら思っていますが、別に調べることは誰にでもできるやろ言うことがあります。
わかりやすい機能比較マトリックスを作るのはスペック表をみていればできることなんですが、できると書かれていることが本当にできるのかどうなのかというのはやってみないとわからないというのが正直なところではあると思うので、自分でオペレーションしてみることは大事だなと思います。
導入を含めてのどうであったかという一歩的ではありますが所感を述べることは、動画やカタログを見るだけではちょっと足りないような気もしていて。
これは単純にカタログスペックではわからないものがあるっていう、軽自動車が64馬力自主規制をしていたけど、スバルのヴィヴィオはホントかしら?ってなってたとか。まぁ、色々触ってみないとわかんないよねっていう諸々です。

去年の暮ぐらいからあらゆる人に話していることに『今年か来年ぐらいにはもういま時点では全く想像できないようなお事が日常になってるよ』と言いふらしてます。
それが何なのかはわからないままなのですが、繰り返しになりますが今普通だと思っていることがなにかびっくりするほどに変更され更新されますよというなにかです。

去年から今年にかけて検証したものを抜粋
NDI - ビデオ信号などの伝送技術
TDPT - ウェブカムから人体の姿勢を取得するシステム
PerfectSync - iPhoneの表情トラッキング
mocopi - sonyの3Dトラッカー
トラッカーから傾きの検出
geoSpatial api - アンカーAR
Plateau - 全国の3D都市モデル
Whisper - 読み取りAI
DeepL - 翻訳
yt-dlp - 動画ダウンロード
ffmpeg - コマンドラインで動画を色々できる
coeiroink - 読み上げ
my coe - 自分の声をモデル化できる
stableDiffusion - AIイラスト
controlnet - stableDiffusionのwebUIというものでポーズを指定できるなにか
Niagara - UE5のパーティクルシステム
VFXGraph - Unityのパーティクルシステム及びシェーダー
AfterEffects ロトブラシ - 対象物飲みを指定して抜き出せる
ChatGPT - テキストAI 最近お世話になっている

他にもいろいろあった気がする。
今年もいろいろなものを触ったり、逆にレガシーなものを踏んだりしていくのだ。もっと知りたい。

去年2DRの提供を終え、あらためてアバター配信を見たところ、なんか普通になってるなというのがあり、顔が動く必要などなかったのかもしれないなと思ったりしています。
単純に見えているコンテンツがそうだったからということもあるのかもしれませんが、顔を出す必要がないコンテンツが増えたなと。
もともと顔を出す必要があったもの以外については本当に発明だなと。
音楽にビジュアルは必要がないのに、ビジュアルがあったほうがCDが売れるからということでアーティストデビューとともに顔を出していたのだと思うのですが、現代においては顔を出さなくてもストリーミングが回れば生活に困ることはないのだし、であれば自分はこんなものですよということさえアピールできればそれでいいのだなと。
ただ好きな実況者が、『顔出しするから承認欲求満たされてんのに顔出ししなかったら自分じゃない誰かを見られてるって一生思うからフラストレーションたまりすぎて爆発して全員死ぬ』といっていて、それもまぁそうかもしれないと思いました。
ゲーム実況者界隈などは長時間配信者かそうでないか、一緒に馬鹿なことができるかどうか、視聴者もそれらを選べて何を見たいのかを割と自分でレコメンドされさえすれフィルタリングしてる。
テレビのようにしっかりとしたコンテンツを見たい人はテレビを見るかテレビマンが作る笑いを見る。
20年前では信じられないようなコンテンツの消費の仕方をしているという現実があることに気がついてすごいなと。

僕は今の小学生だったらと想像してみると、随分自堕落ではあったのでとりあえず読めるだけ漫画を読むことはすると思ってる。今やアプリさえあればお金を使わなくとも無限のコンテンツが降ってきますからね。。。(ポイントを貯めるなり週刊連載なり
動画はどうだろうか、youtube見て笑う前にやっぱり投稿してみたいと思うんじゃないかなと。
配信や動画投稿をやめるポイントは想像よりも早く、危険なことをして親に怒られるか、飲酒して退学になるか。
まぁそんなものではないかと思います。
以外にも高校生とかで今のコンテンツが充実していたら勉強楽しくなっていたかもしれません。
このような可能性についてなぜ今長々と書いているかというと、単純に逃避しているのです。
このあと何時間かかけて動画を取るので、そのために逃避しているのです。

やるかぁ・・・