秋の雨は少し気持ちが落ちてしまう
こんにちわ僕です
先日、YouTubeをぼーっと眺めていると、窃盗団に盗まれた車を自分たちで奪い返す、というコンテンツを見つけた。
「自分たちで見つけました、ありがとう」という内容だったのだけど、なんだか怖くなった。
何に対して怖いと思ったのかについて、少し考えたいと思う。動画の内容で今でも印象に残っているトピックをいくつか挙げてみる。
- 「警察は何もしてくれない」と繰り返し訴えていた
- 懸賞金をかけて、見つけたらお礼をするというSNSの投稿がバズった
- 街中で協力者と思われる人がたくさんいて、嬉しくなったと主張していた
- メディアが協力してくれたことへの感謝を述べていた
批判になるかもしれないが、彼の動画は話し方や雰囲気を含め、かなり好感が持てるもので、興味深く眺めていた。話ぶりや考え方自体は否定するところがなく、個人的には好印象を持っていることは先に明らかにさせて欲しい
その上でやはり当該の動画に対するごく個人的な違和感をテキストにしたので、この段階で不快感がある人はブラウザバックして欲しい
警察は何もしてくれない
「警察は動かない」「本気で車を探してくれない」といったことを繰り返し述べていたが、実際にそれはそうかもしれないという感想を持った。良いとか悪いとかではなく、警察は社会の秩序を維持し、公共の安全を確保するために存在している。遺失物を見つけるための組織ではないということだ。
警察は個人のためにある組織ではないので、「警察は本気で動かない」と不満を述べるのは何か違うのではないかという感情になった。
また、窃盗被害に遭った場合、警察に届け出ることは必要だが、自分たちで発見した際は、その旨を警察に報告し、状況説明をする必要がある。自分の物なのにどうして?と思うかもしれないが、捜査は公共のリソースで行われている。社会秩序を維持するために、同様の事案が繰り返されないよう、警察が動いているのだ。
懸賞金をかけた投稿がSNSでバズる
インフルエンサーであることも影響したかもしれないが、古くからSNSはこうした窃盗事件に対して強い影響力を持っていると思う。
探し物や行方不明者に対して、人々は共感し、ほとんどが善意で行動する。しかし、現代では善意に紛れた犯罪行為が一般化しており、無視できなくなってきている。
ある配信者の発言が印象的だった。「罵り合う二人を見かけた時、どちらかに肩入れしたくなったとしても、反対側の人を傷つけていい理由にはならない。第三者が介入することでただの暴力を助長しているのと変わらない」というものだ。
今回のケースでは懸賞金がかけられ、善意の第三者が懸賞金という「人参」をぶら下げられたハンターのようになっていた。
私的な捜査は法律で制限されており、探偵業として届出が必要だ。今回のケースに当てはめると、「住居侵入罪」や「プライバシーの侵害」などの罪に問われる可能性がある。
もちろん、駐車場という公共の場所を見に行く行為が即座に違法ではないが、用事がない場合に私有地に踏み込むのは許されないだろう。
街中で協力者だと思われる人がたくさんいて嬉しかった
地図情報を使って協力者を集め、「町全体が味方になったようで嬉しかった」という感想が述べられていたが、これはかなり盲目的だと感じた。
公共の道路や街は個人のものではないし、困っているからといってどこでも停車して良いわけではない。
また、法定速度以下で徐行している場合でも危険だし、事情を知らない一般市民からすれば恐怖を感じることもあるだろう。
動画の中で短期バイトについても触れていたが、自分たちが良ければ良いという態度は社会的に良い印象を与えないと感じた。その上で、「街中で自分たちのために動いてくれる人がたくさんいて嬉しい!」という安直な感想を持つことは、民衆を味方にすれば自分が正義だと思い込んでいるのかもしれない。この点に違和感を覚えたのだと思う。
メディアがこぞって協力
メディアの取材を多く受け、協力してくれたことについて感謝していたが、メディアがインフルエンサーの味方として機能している点に強い違和感を覚えた。
メディアは犯罪について報じ、注意を促すことは重要だが、公共性を考えると、特定の個人を支援する姿勢は適切ではない。テレビやラジオは最低限の公共サービスであり、どんな地域でも提供されるべきものだ。
インターネットはメディアの一つとされるが、テレビとは中立性や公共性が異なっている。メディアがその役割を果たさない場合、放送法の存在意義が問われるべきだろう。
今までにこのようなことはなかったのか
過去にも同様の出来事はあった。自分自身も以前、代替現実ゲーム(ARG)という企画に興味を持っていたことがある。
現代では、何がフェイクで何が現実かを区別することが難しくなっている。甥や姪と話をする平和な世界とは対照的に、世の中が「不都合なことはフェイクだ」と簡単に言い切ってしまう風潮に、精神的に敏感になっているのかもしれない。
結論
大前提として、車が無事に戻ってきたことは良かった。しかし、窃盗団や犯罪集団は社会から排除されるべきだ。日本のような無関心な市民社会では、ジャイアンのような存在が増えればすぐに崩壊してしまう。
ただし、ジャイアンと犯罪者はまったく別の存在であり、社会の反響が似ていると感じることには少し違和感を覚える。
最後に、こうした話をすると「犯罪者を擁護するのか?」と問われることがあるが、その意図は全くない。私が言いたいのは、個人の問題に巻き込まれに行く必要はないということだ。忙しい日常を過ごす中で、私は平和に生きていくことを選びたい。
正義とは何なのか? この問いを年に何度か考えることがあるが、今回はこのような考えに至ったので、エントリとしてまとめてみた。
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