終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

北風と太陽

台風と雨、そして秋らしい気温、少しだけいがらっぽい喉
こんにちわ僕です

高校生のときにハートバザールというアーティストを『北風と太陽』という楽曲で知ったことはいつかの日記で書いたと思う


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歌詞の中に『夜の星空の下 テグジュペリみたい 王子様 見つけられたらいいけど やっぱそれもダメだし 結局ボクは無駄な日々 繰り返してばかり 苦し紛れで生きていた。』
この曲唯一の具体的なモチーフを使った表現で、この一文があることで童話としての北風と太陽を通じて、6分以上ある楽曲が自分にまつわる恋の歌だのだということを教えてくれる
ラストの盛り上がりの中で
『ガックリ肩を落として 言い訳ばかりを重ねてた 記憶もかまわない 苦し紛れでいきてきた。』という展開を挟んでから
『一人称のまま 敗ける事も 挑む事も 恋に狂うことも 唄にしよう。抱きしめよう。 僕だけにしかないこのコトバで、 ひとつの絵に』
と、なんとか自分の人生を自分の物語だと受け止めようという影が見える
影が見えるというのは、楽曲はこのあと唐突に終わってしまうからだ
曲を通して『僕』が現状つらいことを吐き続けるだけの曲なのだけれども、思春期真っ只中の自分に刺さってしまって今でも好きな楽曲だ

失恋の歌が好きだ
これはどうしてそうなのかわからない
ただ、失ってしまうことの悲しみや刹那的な感傷を自分の抱える向き合いたくない暗い部分を癒やしているそうな側面はあるだろうか?
またきっとそういう環状を美しいと信じている側面もきっとある
大好きな楽曲をいくつかここに上げておくので良かったら聞いてほしい

 


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一貫性はないのだけれども、基本的に一人称視点で描かれていて自責を歌っているようにも聞こえる、反芻するありがとうとさようならを多くの楽曲に寄って無限に接種することができる


いきていることに一体どんな意味があるというのだろうか?
しかし結局のところ意味なんてないのだ
しかしいきていることは美しくあらねばならない
どんなコトバやどんな顔をして、何を言えばどこかにいるだろう『キミ』を手に入れることができるのだろうか?
失ってばかりの人生だという歌がこんなにも多いように感じてしまうのは、単純に自分のアンテナが曲がっているだからだ

社会派のメッセージソングも好きなのだけれども、そんなジャンルあるのか?と思っている
勝手に僕の中でそういうジャンルを作っている


森田童子のぼくたちの失敗という曲がある
最近の方は知らない方もいるらしいのだけど、聞いたら多分知っている


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ザラッと聞いてみると上に出したような恋愛曲なのだけれど、対抗している先が自分とともに社会である

冒頭で『春の木漏れ日の中で 君のやさしさに うもれていたぼくは 弱虫だったんだよね』
と美しいピアノの旋律とともに始まる楽曲はラブソングだということを訴えてくる
しかしその少し後で出てくるフレーズ、
『ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた 地下のジャズ喫茶 変われない僕たちがいた』
変われない僕たちがいた、という非常に印象的なフレーズが来る
リリースされた1976年の時代背景として学生運動が失敗したヒロインとして現れたのが森田童子であるとされている
僕のずっと上の世代のことなので、正しいことはわからない
ジャズ喫茶は都会の若者のたまり場であり、歌謡曲ではない最新のジャズという音楽をインプットする場所でもあった

そういうことを踏まえ、歌詞の続きを見る、すぐに終わる
『だめになった僕をみて 君もびっくりしただろう あのこはまだ元気かい 昔の話だネ』
そして冒頭のテキストが繰り返される
僕と君は一体何を指しているのだろうか?
君とはおそらく社会のことであり、僕とは僕たちのことであろう
当時すでに時代遅れであるジャズ喫茶や電熱器を持ち出すことで、自分たちの戦いは終わったが、僕が非力だったのだ、というふうに解釈をすることは間違いだろうか?


そのような気持ちを何処かで感じる楽曲も紹介したい


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あなたの好きな曲も聞いてみたい?なんでも良いから教えてほしい
あと下に数曲好きな曲をぶら下げておくよ

 


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多分風邪ひきましたね?