終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

水星の魔女

AirPodsproを無くしたのでまぁー・・・という感じでおちんこんでました
こんにちわ僕です

あまりに落ち込んだので、2時間後にBose QuietComfort Earbuds IIを買いました

昨日はイヤフォン届くことを楽しみにしているうちに夕方になり、散歩してると七夕まつりをしているのを見かけて、夏だなーと思いました


AirPodspro、イヤーピースなのか内蔵マイクなのかわからないですが、キュっていう音がしていたのですがBOSEのものは今のところそういうのがないので気に入って一日使っています
少しだけケースがでかい

帰ってきてやることがなく、先週最終回だった水星の魔女を見ました
1回見ただけなので結構間違っているとは思うのですが、25話+プロローグでやるにはあまりに重いプロットだったなという感想が大きいです
これはどこかのツイッターで見たことだと思いますが『学園モノなのに教師の姿がない』というのはたしかにという違和感の一つだったのかもしれません
今回ガンダムというのは特別な兵器としては描かれておらず、00やオルフェンズのような特殊性も主題ではなかったように思いました

今回は地球と宇宙の対立を描くこと、視点としては一方的に宇宙側の学戦の視点が多いこと、そこに宇宙側でも地球側でもないスレッタという宇宙でも辺境の少女のインキャ的側面から描写していることなど、新しいチャレンジに感じました
SFとして描かれていますが、データストームとパーメットについては現代でも十分にクラウドとパケットでイメージが出来るものだったのではないかと視聴しながら考えていました
また、これは最近あまり出さないことですが、政府が掲げるムーンショット計画の中の一つにある『サイバネティックアバター』についての実際の1例として描かれているように思いました
昔からガンダムでは、ビットやファンネルといった武装が出てきており、今作でもガンビットという形で様々に登場します
これまでのビットやファンネルと大きく違う点として『どんな形でも大丈夫』ということを見せたことに在ると思います

現代の戦闘機的な話になるとF-22という戦闘機が90年代後半に出てから戦略的な事情が一変しました
すでにこれも30年ほど前の話では在るので現代ではもっと変更があるとは思いますが、本格的に情報戦を実戦投入した機体がF-22で、単純に頭のいい機体を作った、という事実があります。
見つかる前に撃ち落とし、見つかる前に必要なぶんだけの火力を投下する
F-35や艦隊の砲撃はF-22の情報を元にネットワーク化され合理的に対象を排除できるような仕組みを作っているようです
そのうえで、現状すでにF-22は退役が近いという話があったりしますが、監視の目で言えばすでに宇宙からの目が在るために1次情報を単騎の飛行機が担う必要がないという現状が在ること、また、高度な航空技術を持つパイロットがいなくても無人機でミサイルをキャリーできれば問題ない(ドローン)ので有人のF-35や輸送機なども絶対の必要が段々とがなくなってきたことなどが考えられます

つまり、90年代からオルフェンズまでの平成ガンダムではパイロットが主軸であったわけですが、水星の魔女は、情報そのものが主人公であり、より形を問わないものを物語として構築しようとしたことにチャレンジを感じます
これは、少し前にも出したパーメットというものが今まではニュータイプサイコフレームなどとされてきたものですが、明確なものとして定義されたことで構造的にかなりわかりやすくなっていると思います
ここからは完全に私見になりますが、パーメットはSF的なものではありますが、情報を持った電子という感じで捉えるてみていました。
水星の魔女の中では物質性の高いものとして描かれていますが、これを現実のパケットとして読み替えると、一部の人達は空間把握能力が他の人よりも少しだけ能力が高く、その能力で複数台のドローンを必要に応じて無意識下でコントロールが出来るようになる、そのために肉体とインターネットを直接つなげるためのやばい仕組みと物質という感じでしょうか

一方で人間の脳には処理能力の限界があるとされています。
自分たちは知らないうちに自分の身がコントロールできる唯一のものだというふうに教え込まれてきているわけですが、これは矛盾したことになりますが、見ていることや呼吸していること、話すことに自身の体をどう動かしているかなんてことについて意識的に出来ることのほうがずっと少ないことを皆さんも知っています
どうやって呼吸をしているのか、どうやって視界が水平であるのか、どうやって音を聞き分けているのか、生きるということはよくわからないことです

以前面白いなと思っていたことの中にメタバースというものがありましたが、最近は定義がより限定されたように感じていて面白みを感じなくなりました
サイバネティックアバターの掲げる『 2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。』という一文は、自身の身体拡張のみを指す言葉ではないと考えています
たまに自分が二人いればとか、というような形容をしますが、実際の制約の大きな部分を締めているのが時間です
なので、コロナ禍になって本当に感じたことだと思いますが、通勤さえなければ多くの人がもっと自分らしくあれる時間が出来ることに気がついたはずです
空間や時間、身体や脳からの制約の開放というのは、マトリックスのような世界にいこうということではないです

パーメットをWWWのパケットとして捉えた際に本当にそのようなことをおこなえるとどうなるのかというと、劇中で何度も描かれていましたが、同じプロトコルを持つもののコントロールを奪えるということになります
これらは高度で同じようなアルゴリズムで動き、同じような処理系で動くものであるからこそクラックすることが可能だと言う考え方です
例えばマンションのMDFが一つの場合、誰かが意図的にMDFをハックし、自身のローカルネットとしてマンションのネットワークを書き換えると、他の部屋でのIoT機器のすべて手に入れることができるようになります
現実的に不可能ですが、イメージとしてはそういうことだと考えています

これらについて脅威だというふうに考えることもできますが、一番恐れるべきは人間であるということも同時に描いています
どれだけすごい兵器があったとしても、不必要に人を殺してしまうことはただの悪評が立つこと以上に機能しません
平和というものが何であるのか、どうすればそれをなせていけるのかということについていままた考える時期なのかもしれないです
高度な文明に支えられ、規格化された社会は合理的でシンプルに見えるかもしれないですが、それ以前のテクノロジーをなかったことにした際に、やはり失われてしまった技術をメンテナンスすることができなくなれば、近いうちに原子力が本当に怖いものになりかねません
若葉マークの車が一番安全運転をしているという事実から目を背けているようなものです


最近週末に予定を作っていて割と楽しく過ごしていたのですが、急に何もない週末を過ごすと、こんなにもつまらないものなのかという気持ちでいっぱいです
人と話すことや笑うことについて、生きていく上でカロリーを使うに十分な理由なのだということを改めて考えています

40歳の夏、始まっちゃったな