終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

長文と言うには少し短い雑記

冬なのになんだか3月ぐらいに感じています。
こんにちわ僕です。

世の中が崩壊してきているなぁ、と思う今日このごろですが皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
少し遅い時間に昔かあるであろう中華屋でタンメンを食べました。
タンメンとはなにか割と最近までしか知らなかったです。
関西には多分ないと思うので、東京の名物でいいんじゃないでしょうか。

気がついたら40歳です。
なったのは去年ですが、全然実感がなく。
先日弟の甥っ子に数年ぶりに会い、誰?と言われたんですがお年玉をあげる行為をしてきました。
誰?知らない人、と指を刺されるのは少し残念だけど正直で良いと思いました。
いとこの娘さんが成人式だということを聞いたりして、そうか、自分が年を取ったのだということをじんわりと感じています。
街の景色も人もちゃんと時間を積み上げているのに、僕だけが若いはずはないということを認めた瞬間老けました。

目に見えるほとんどすべてのものは人間が作っているということについてどうも信用出来ないなと今でもたまに思います。
眼の前のアスファルトの舗装も、解体されるビルも、線路も乗り物や服も文字も空気も水も人間の手が入っている。
これは空を見上げると雲があり空があり、宇宙があり、今のところ人類が手を入れていない領域というのは少なくとも地上にはあまりないようにみえる。
だいぶぼんやりとした話なので確実に言えることは僕たちはもう2019の頃には戻れないのです。

なぜ戻れないのかというと、2020の頃からずいぶんと便利なものが生活を使えるようになったからです。
例えば松屋マクドナルドのモバイルオーダーが始まったのは2020年ですし、5Gの開始時期も5輪に合わせてだと思いますが2020年3月からです。
M1Macが発売されたのが2020年11月であり、そんなSoC一つで世界が変わるわけがないと思っていたのが大変高速でありました。
2019年のe-taxからマイナンバーカードが使えるようになり、当時はチップの読み取り機器が品薄になるほどだったけど翌年には多分解消されている。
そのぐらい4年ほどで隔世の感があるほど時代が変わっているのです。

ここから少し文句になりますが、マイナンバーカードなんて言うものは作らないほうがいいと言っていた人たちがいたんです。
国民に番号を振って管理をするということは囚人みたいじゃないか、みたいな論調があったような気がします。もう一切聞きませんね。
そもそも法律的にも身分証としては機能しませんよという開始当初の経緯をみんな忘れており。
それに今は法律がしれっと2018年に変わっていて本人確認書類で使えるようになっています。
便利だよね、といって使っています。
僕は調べるまで知りませんでした。

そのぐらい世の中簡単に変わっていくのです。
おそらく現代から4年前に戻されたらいろんなものが不便すぎて困ると思います。
僕はずっとシャドバをやっているので、古い環境に戻るだけですが・・・
でもまぁ嫌ですね。

世界はめちゃくちゃ混乱しているし、信用という言葉の意味がよくわからなくなってきている現代がいい写し鏡な気はしています。
友人と話をしているときに『祖父のことを最近思い出す、彼は戦争に行く前は特に少年時代どのような教育を受けたのだろう?』と僕が話し始めたところ『そうなんだよね、日本人ってドラスティックに正義が変わっていく歴史だから』『例えば?』『戦時中に小学校だった子たちはとある日を境目に昨日まで正しいと言われていたものに炭を塗ったわけじゃない?体験としてはトラウマだろうね』『たしかに』のような会話をして、こう言う会話ができるっていいよなって思いました。
そういう意味では本来は日本の再構築をするなら今なのかもしれません。
力があった人たちが敗者になり、誰が力を持っているのかわからない状態です。

今の中学生ぐらいの子達は『なぜテレビはさわれないのだろう?』と考えているのではないでしょうか?
複雑怪奇なテレビリモコンに嫌悪する子たちもいるかも知れません。
でもそれらのソフトウェアを作っているのは自分たち大人であり、自分たちの常識がもうしばらくの期間常識としてあるでしょう。
たまたま読んだ本にソサイエティ5.0という言葉が出てきましたが、自分たちの小学生の時の教科書には第4次産業がサービス業・情報通信産業であると書かれていました。
サービス業や情報通信産業が今の教科書にどう書かれているのかわからないですが、当時は撒かれている情報を自由に受け取ってもいいし、行使しても良い、という状況だったのではないかと思います。
そう考えると現在ではすでに受け取るだけでなくある程度の発信までが行えるようになっていますから、状況としてはすでに第5次産業に入っているのではないかと、ソサイエティ5.0であると考えています。
それを受け取ることが出来なかったので一つの側面として自分たちは苦しいのではないかと。

産業そのものを結果としてタブロイド紙みたいな扱い方しかしていないならそれはそうでしょうよと。
そして世の中は次を求めていて、それは何なのかというともう世の中にある自動化の流れですよと。
少し前までビックデータと言われていたものは数年前から解析が始まり、新しいアルゴリズムによって有意に使われるようになってきています。
それらが最近世間を賑わさえているAIの一端でしょう。

皆さんは自分の身の回りにAIはないと思っているかもしれませんが、その聞いてる音楽の最終工程はわりとAIがやっています。
みんなだいすきずんだもんはAIですし。
皆さんお手持ちのスマホのカメラの写真がきれいなのもAIです。
車にも当たり前のようにECU(今もそういうのだろうか?)がいっぱい載っています。何なら現代の車はアクセル開度さえも電気信号でワイヤーはありません。
どのようにすれば効率がよく安全なのかということを考えた結果、人間にやらせないという判断を無意識下で行っているということです。
日本において言えば情報を好き勝手に振り回せるようになるとおもちゃにして遊ぶことしか出来なかったからだ、ということにはなりそうです。

これらの現象が非常にまずくて自分たちが苦しい一端です。
なぜならなんでもいいんですが、みなさんが消費している身の回りのものの制作にかかわる仕事をされていますか?という問いにどう答えますか?と。
何が正しくてという話ではなくて、その自分たちが消費している対象物が外から入ってきたものであれば、当然それを作った場所が儲かりますし、うるおいます。でも利用しているだけであって自分たちはそれに一ミリも加担してないですねってなったら当然インカムがないのでその分の資本が蒸発します。
これも別に極端な話なので実際はこんな簡単な問題ではないです。

そのうえで、今住んでいる社会が抱える問題はかなり本質的に大変で誰も解決したことのない問題を解いていかなくてはならない。
高齢化や食料・エネルギー・水、生活そのものを掬われてしまいかねない大変な課題です。
これを自分たちは処理しなんとか立て直すことができれば、次にまたもっとやっかいな問題がでてくる。
何処まで言っても社会などもんだいだらけだということを昔の人も本によく書いていますが、多分自分もそうなのだろうなぁ、と。

現代とはとてもややこしい。
なんかむっちゃ長くダラダラと書いてしまった。

まぁそんな感じで春のような陽気がまだ数日続くっぽいので雪崩などに注意してください。
ここまで読んでくれた方はいないと思うので、読んだよって証にスターつけてくれると喜ぶとともに感謝いたします。


本当にくだらない話を次は書く。