終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

お気持ちテキスト

寒さに負けて寝てしまいそうです。
こんにちわ僕です。

改めましてあけましておめでとうございます。
2023年、新しい年が始まりました。
4日から仕事始めという方もいらっしゃったでしょうし、成人の日の翌日10日からという方もいるでしょう。
今年はなんだか年末年始感がなかったなというのは単純に休みとした日が少なかったからなのか、歳のせいなのかはわかりません。

雑記として残すか悩んでいることがありましたが書き残しておこうと決めました。
それは実家を手放すことです。
実家というか育った家というか、本家というか。
自分は本家筋の長男の長男であってそれを守っていくということが当たり前のように思っていました。
数年間はなんとかして維持をしてきましたが、小市民である自分にはそろそろ限界だということを感じ手放すことになりました。

数年をかけた話で、正直なところ寝て起きたら全部解決していてほしい、そんなふうに思っている時期もありました。
結果として家の中のものを整理することはできず、そのまま不動産屋に引き渡すという非常に好意的な条件をいただきました。
数年をかけているので、残っているのは思い出の品程度で、価値のあるものはないのですが思い出の品ほど後ろ髪を引かれるものもないでしょう。
建物自体も幼児期を住んだ家と高校生まで住んだ家が小さい庭を挟んで2軒あるのですが、それらをまとめて解体になるので本当に寂しいです。

手放す理由はいくつかありますが、大きな理由としては経済的な面と安全の面です。
経済的には、固定資産税、電気ガス水道などの光熱費、庭掃除、火災保険などと言った毎年、もしくは毎月かかる固定費が馬鹿になりませんでした。
これらについて意識的に集計しないようにしていました。
僕はたくさんのサブスクリプションに入っていますが、おそらくそのサブスクリプションの合計を合わせたよりも実家の年間の固定費のほうがよっぽど高い事はわかっていたからです。
安全というのは、実家の周りには戸建てが多く、少し大きく背の高い実家は古い電気ではないソーラーの仕組みなどが設置されたままになっており、それらが台風などで外れたりすると周囲への迷惑ではすまない状況になるということがありました。
また、今では珍しいコンクリートブロックを積み上げた塀が国道に面して降り崩れたり、片方は木造のため家事などの可能性を完全には否定できませんでした。
家が東京近郊にあれば整理したり確認したりできたかもしれませんが、和歌山という土地にあると半年に一回程度しかいけないことが実情でした。

それでもこれらを更地にすることはほとんどが感情的な面で全く容易ではなかったです。
なにかに活用できないかと考えたこともありましたが、全ての可能性が難しいと感じました。
一人の弟は反対をしていましたが、その気持はとても良くわかるつもりです。
けれど、これは自分が元気な今しかどうにもできないのだということを受け入れた結果諦めるしかなく、非常に残念だなというふうに考えるしかなかったです。

この家のことで自分がいなくなれば誰かに行くのではないかとか、そんなずるいことを考えたりもしました。
父がなくなり、おじいさんが保全してくださり、そのおじいさんも亡くなり、今は誰も住んでいない家です。それからもう何年も経ちました。
3年ほど前まではまだそんなに怖くなかったですが、今はもう怖いと思える程度に廃墟になりつつあることも事実です。
水道も電気も通っているのに廃墟。
誰かがいればどうにかなったとは思えないので、結局処さねばならなかったのです。

契約は終わっており、週明けにも解体が始まります。
その前に最後に一度見に行こうとは思っていますが、今は感傷的な気持ちでいっぱいです。
身軽になれたとか、そういうふうにポジティブに感じられる日が来るのか今の僕にはわかりません。
僕や父だけではなく、脈々と少なくとも4代にわたって住んだ土地です。
親族ともどもなくなることは本望ではないでしょう。
だから余計に心は重く、鈍く、本当にこれが正しいことなのだろうか?という気持ちでいっぱいです。

いまはいろんな言い訳をしていますが、これ以降は自分が後悔しないことだけです。
誰のせいでもなく自分が処した。そしてそんな自分を責めすぎないことです。

このエントリは懺悔ではなく吐露です。
年始からお見苦しいテキストを読ませてしまって申し訳ないです。

今年は本厄です。(1982年生まれ)