終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

僕の半分は引っ越し

紫陽花の季節です。
毎年写真を取ろうと思っていううちに過ぎてしまうことで有名なので、今年は撮ります。
僕です。

宇宙さんが引っ越しについてのエントリを上げていらっしゃってほっこりしました。

note.com

久しぶりにロフトでイベントもやられるようなので、チケットを買いました。
ずいぶんと舞台にもライブにも行けていないので、絶対7/3は別の用事を入れません。
今から楽しみです。

「今川宇宙がんばらない会」 – LOFT PROJECT SCHEDULE

 

引っ越しが多いことで僕は知られています。
住民票の履歴を取ると10箇所記載されています。
部屋についての印象を覚えている限り述べてみようかと思いました。

1.豊島区駒込 1K
18のときに上京してきた際に借りたアパートです。
JR駒込駅徒歩5分、というとんでもなく便利なアパートでした。
路地入ったところの1階でとんでもない数のGが出るところでした。
あまりにもGが多すぎてノイローゼみたいになり授業中にGの整体について調べるぐらいメンタルをやられました。
洋室6畳キッチン3畳、ユニットバスというなんか普通の部屋でした。

2.相模原市淵野辺 2DK
大学編入時に夜逃げみたいにして引っ越しをした部屋です。
絶対に1階が嫌だったのと駒込のアパートよりも5千円安くて広さが倍以上ということで決めました。
JR淵野辺駅とJR古淵駅のちょうど間ぐらいで交通があまりに不便でした。
この頃車を持っていました。
部屋は6畳の洋室と和室が一部屋ずつ、ダイニングキッチンが6畳、風呂トイレ別、という多分住んだ中では最も普通の部屋でした。
あの間取りは今でも気にいっています。
上京して一番長く住んだと思う。

3.狛江市 1LDK
社会人になんとかしてなったあとあまりの交通の不便さからどうしてももっと都心に近いところに行きたいと思って借りた部屋。
4階建ての4階でエレベーターはなし、長細い奇妙な間取りだった。
家賃も倍近くになっていたような気がしたけど、当時なんか頑張ったんじゃないかな。
自転車をこの頃多分乗っていた気がする。
ここもなんだかんだ3年ぐらいいた気がするが、気のせいかもしれない。
前述したけどLDKが特に長細くて、半分に分断してベランダ側にベッドを配置していた。
なんかこの頃が一番ぐらいに普通に幸福だった気がする。

4.川崎市多摩区 3DK
多分手狭だったということで川を渡ると広いということで引っ越しをした。
先に行っておくとここらへんから異常なスピードで引っ越すようになったと思う。
書斎*2、寝室として各6畳、ダイニングキッチン8畳という広い物件だった。
アパート自体も大きめだったけど、とにかくファミリーだった。
ここはトイレが変な建付けになっていて、何故かトイレのドアのした部分が微妙に見える構造になっていて、トイレプライバシーがさっぱり守られていなかった。
あと風呂が非常に狭くてタイルで冷たくてイマイチであった。
この頃父がなくなったり、1つ目の会社をやったりして心がぐちゃぐちゃになっていった時期。
2年はいなかった。

5.世田谷区駒沢 1DK
一度はデザイナーズにすみたいと思って借りた部屋。
べらぼうに高い家賃と変なメゾネットになっている物件で、めちゃくちゃに狭くスペースもないしコンクリートは固いということをわからされた。
非常に色々と不便だった。
風呂とトイレが上階にあるんdなけど、すりガラスでベッドルームと分けられているだけで、シルエットまるわかりのエッチな部屋だった。
しかし、そういう状況を全く活かすことができなかった。なんせ前の家が3DKで荷物が膨らんでしまって、デザイナーズの部屋の殆どが荷物で埋まっていたからだ。
そして会社を一度たたみサラリーマンをやるが続かず、2社ホップしたところで心が折れて一度和歌山に帰った。

6.和歌山
触れない

7.渋谷区神泉 1DK
1年で再上京して住んだ部屋。
会社が半分出してくれるということで決めたが、会社とうまくやれずに最後は発狂した。
良い上長を持つことがサラリーマンにとっていかに大事かということを改めて学んだ。
一つでもポジティブな面があれば続けられたかもしれないが、あまりにも病んでしまったので、辞職前に引っ越しをして辞職。
部屋に戻るとこの部屋は玄関に入ると2畳程度のスペースとキッチンがあり、4段程度の階段を降りるとワンフロアの広めの洋室がある。
手前の二畳程度のスペースの下にちょっとした収納があった。
ここもいわゆるデザイナーズで、トイレとお風呂が変わった作りだった気がするがさっぱり思い出せない。
半年いたかどうか。

8.渋谷区円山町 1R
渋渋谷駅に歩いて行けるというのはとても新選な体験だったのでこれを譲りたくなかった。
せっかく済むなら変な物件いすみたいと思って、広いワンルーム探そうと思って住んだのがここだった。
久しぶりの1階だった。正直超使いづらい間取りと1階ということでやはり引っ越したさがMAXになった。
環境的にはやはり渋谷駅に歩いていけるのは良かった。
どのぐらいいたのかがいまいち思い出せない。
この頃渋家に一瞬メンバーになったりしていた気がする。

9.渋谷区笹塚 1K
もう少し家賃を抑えたおもしろ物件を探そうという気持ちになって、楽器OK物件を探した。
結果的にここも3年か4年いた。今までと比べると相当狭い物件だったが、別に不自由はなかった。
部屋についての不満は狭いぐらいで、やはり2階以上という条件が良かった気がする。
この頃はサラリーマンを諦めた頃でもある。
祖父がこの頃に亡くなったようなきがする。

10.杉並区西荻窪 2LDK(友人とルームシェア
1階の角部屋だったが、約1年弱で退去した。
1階なんだが道路よりは0.8階分ぐらい高いところにあり間取り的にはシェアしやすい構造だった。
長い廊下は無駄だなと思ったが、部屋を分けるには非常に有効だ立っと思っている。
高すぎる家賃により無収入となったミニはあまりにもきつくて退去した。
今の自分の会社ができた頃にこの家に引っ越した気がする。

11.台東区三ノ輪 2LDK(友人とルームシェア
初めて自分で借りなかった物件。友人宅に居候させていただくことで3年ほど寝起きをした気がする。
ここは珍しく住所を移さなかったので公的な書類にはどこにもこの住所はないはずだ。
12回という初めて高層階に住んだ物件でもあり、スカイツリーが見える部屋だった。
食洗機などもあり最新の文明に触れた気もする。

そして現在の部屋になる。
現在は1LDKと書いていたが、多分1Rだろう。ターミナル駅に徒歩で行ける便利さとちょっと余裕のある広さなので気に入っている。
とは言え色々と不便なところもあるのだけれども、諸事情により当分動かなくてもいいかなと思っている。

引っ越しをするのは大変だ。
けれども僕はおそらく内見と引っ越しが好きなんだと思う。
なんで好きなのかは全然わかんないのだけれど。
そして改めてどの物件も良かったこともあれば悪かったことも会ったということを思い出した。
忘れっぽい自分にしては、場所にちなんだ思い出があるものなのだなという気持ちがあった。

最近ここ10年ちょっとは気が狂っていたなという風に考えるようになり、それは忙殺されていたということと自分を封印していたことによるところが大きかったんじゃないかと考えている。
間違いなく一時は幸福であったのだ。
それを手放したのは自分の強欲さと謙虚でいなかったことだ。
もちろん環境のせいにしてしまうことは簡単だが意味がない。

まだもう少し引っ越しはすると思う。そのうちに本当に気に入る物件を見つけることができたらいいなと思っている。

お前あの物件忘れてるぞ!というのがあれば教えて下さい。

忘れているかもしれません。