終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

豆まきという謎の文化

節分になると豆を投げる。
こんにちわ僕です。

 

もうすぐ2月ということで2月何かあったかな?と思っていたのだけれども、特に思い浮かぶことはなかった。
僕はお酢が苦手で寿司が好きではないだということはわかっているので、寿司も家でやる手巻き寿司も参加しなくてよかったのだが、なぜだかいつの頃からか恵方巻の行事には参加させられていた。
あれは一体誰が考えたものなのかと思い随分前にインターネットの海をさまよったら、『キャバクラでおっさんが調子に乗って嬢に切る前の太巻きを加えさせたのが起原』というのを見つけて以来、僕を含め全日本人は馬鹿なんだ。
台風コロッケもそうで、台風が来るとスーパーの惣菜コーナーにコロッケが並ぶ。
あれは、2チャンネルの一部のスレッドで盛り上がったもので、本当に何の意味もない。

我々は馬鹿に世の中で生きているということがよく分かることである。
そんな世の中を馬鹿にしているわけではなく、こんなにも世の中が馬鹿なのだからという有にして解釈するほうが随分と気が楽になる。

気の滅入る話をすると、僕は幼い頃(今でもそうだが)梅干しが食べられなかった。
しかし父親はそれを許さない。あろうことかバツとして梅干しの中の硬い種をペンチで割り出し、それを僕の口に入れ『食べ終わるまで家の外で立ってろ!』といった。
その辺に捨てずにちゃんと食べたのだから僕も健気だが、父親の軽DV気質と狂気、そして意味のわからなさがこのへんで理解してもらえたと思うので、滅入るはなしは終わりにする。(その父親は10年くらい前に死んだ)

本当に何年前かわからないが、すごい豆まきというイベントに参加したことがある。
参加したイベントかはわからないがリンクを張っておく。

mamemaki.jp

このイベントのすごいところは、本当に何もかもがどうでも良くなるほどに肩が痛くなっても豆を投げ続ける。手持ちがなくなれば拾って投げる。
ボゥっと天井の方を見ると、マメで空気が霞んでいる。
もちろん超痛い。

タレントさんが歩いてくる一本道があるんだけど、掛け声とともに、無数のマメがそのタレントさんに打ち込まれる。容赦なく、両側から。
もちろん自分が下手側にいると上手側の精一杯のマメが自分の前進を撃ち抜く。
ゆるいマメではなく、節分のあの硬い豆だ。

 

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なので入り口ではクリアバイザーが手渡されていた。
あれがないと失明は免れることはできなかっただろう。

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なんだこれ。

そんなすごい豆まきがあり、恵方巻きを食べ、これは何だね?というと、節分であるという。
冬が終わり春になるという。立春の前日。
寒い冬を超えてみんな頑張ったね!という日に、豆を投げ合う乱痴気騒ぎ。

この国はだめになったのではなく、だめになるべくしてなったということなんだ。

よくわかった。