終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

雑記

9月の真ん中だ。どことなく秋になった。
こんにちわ僕です。

毎年梨を食べようと思っているのだけど、食べられずに終わる年もあるので、気をつけたいと思う。
なしってなんであんなに美味しいのだろうか。みずみずしくてシャリッとしてて、上品に甘い。豊水のほうが好き。
スーパーで売っているようなものなので大した値段のものではないのだけれども、日常的に食べていないので食べないまま悪くさせてしまうのではないだろうか?という気持ちでなかなか買えない。
ひとたまでいいのに二玉で売ってることが多いし。
サンマは居酒屋あいてないから食べる機会無いかもしれない。
この間お惣菜のサンマを食べたけど、今年のものだったのかわkらないのが残念。お魚の冷凍保存ってどのぐらいできるのだろう。

怒ったりあんまりしないのだけれども、怒ってしまうと何でも気に障るようになってしまう。
ちっこい男だなと思っているけれどもそんなことしたいわけじゃない。ちゃんと精算してスッキリして何でも無かったね、ってなりたい。
世界に対してもだんだん嫌になってきてはいるけれどもそこまでのことではなくて、特定の物事に対しての姿勢が、一旦溢れてしまうとそのプールからエネルギーを抜くことができない。
大したことじゃない。だから自分が悪いんだと思う。

それまではそんなことは気にもとめなかったようなことにも反応してしまう。
例えば『きのう何してたの?』という言葉について、別にささくれるようなことはない。
しかし例えばだけど、それを聞いてきた相手と僕が昨日一緒に遊んでいたとしたら、このヒトは何言ってるんだ?となる。
『一緒にいたじゃん?』といえばいいのだろうか。多分そう。だけどそれを毎日繰り返し聞かれたら一体何に対して質問されているのかわからない。

『昨日何していたの?』
「一緒にいたよね」
『そうだね、きのう何していたの?』

仕事している間のことをいっているのだろうか?どこでお昼を食べたとかっていうことを気にしているのだろうか?寝る前にはを磨いた時間について聞いているのだろうか?何度トイレに行ったかということなのだろうか?
更に昨日のことについて(有限ではあるが)無限に続く昨日についての問いだったら、覚えていないことのほうが多いのではないだろうか?

僕は傾向として真面目な部分がある。意識的にできるだけ不真面目に振る舞っている。
振る舞っているうちに本当に不真面目になってしまったところも出てきてしまっていることは否定しない。
真面目さというのは必ずしもいい結果はもたらさない。
約束をすることはとても怖いことだ。約束を果たすよりも反故にしたりされることのほうが多いように思うからだ。
約束を破りたい人間なんていないと思ってる。

だから僕は約束だということについてすごく慎重になる。
すごくシリアスに約束をする。
それでも果たせないことがすごく多いから僕は自分が自分を嫌いになる。
果たそうと努力はするが、あまりにもその努力が明後日の方向だったり果たせそうにないなと思ったとき、相手が果たそうとしないとき、その約束は反故になる。
そして、一つ約束は果たされぬまま、また約束について重く考えるようになる。

だから約束をしたくない。
約束なんてしなくても、欲しい物が、足りないものがないようにしよう。
そんなふうに毎日を努力しているからだ。
人のことは信用している。
でもそれは信用で、信用することを約束はしたくない。
でも約束したいっていってくれる人がいる。僕はある程度直接的ではなくても自分が約束についてあまりポジティブでないことを伝えているつもりだ。
それでもいいよと気軽に約束という言葉をヒトは使う。僕も簡単にその約束に乗ってしまう事が良くない。のだろう。

果たされない約束を自分の十字架にするには、あまりにも自分が小さいなって思ってしまう。
だから果たされない約束を僕のそばからでてきてしまったとき、それは僕の責任なんだとおもう。

梨を食べることは約束にはしていない。
梨を食べることを目標にしている。
季節はどんどん移り変わる。時間は前にしか進まない。
これから先に僕が決めなきゃいけないことはたくさんある。
一つ一つ丁寧に破った約束について振り返り反省するだけの時間はない。いつか本当にもう僕が何もしなくて良くなったときにきっと、たくさんの後悔やできなかったことを考えてなくだろう。
だけど、それよりもずっとおおくのできたことを思い出せるようになっていたいと思う。

言葉にするのは難しい。
何も、伝えることができない。
上手な人は本当にすごい。
煎じて飲みたいものだ。

 

今年ヌメリナイトは開催されるだろうか?