終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

午前1時

今は7/23の午前1時22分だ。

こんばんわば僕です。

 

サマーウォーズを見てぼんやりとしていたら午後7時頃に眠気が来て横になって寝てしまっていた。


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連日の熱波と昼過ぎから飲んでいたことが原因な気がするが、自堕落な38歳である。

小さな頃家の近所のスーパーが大改装されてかなり大きいゲームセンターが家の近所にできた。アーケードゲームの中に巨大な筐体でオリンピックをモチーフにしたものがあって、確か陸上競技のゲームだったけれども、面白かった記憶がある。なんというタイトルだっけな。

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大学の頃に睡眠がおかしくなってしまってからずっとお守り代わりに入眠剤を飲んでいる。『飲まなくても大丈夫じゃないの?きっと薬に縛られているんだよ』というアドバイスを頂くことも多い。実際にそういう側面はあると思う。

多分症状は人それぞれなんだと思うのだけれども、僕の場合はずっと夢を見ている。映像がずっと流れている。あまり良くない映像が流れる。内容は覚えていないのだけれども、一番多いのは眠りながら部屋の様子を観察しているというなんだか説明しづらい状態で夜が明けることが多い。寝ていても起きていてもずっと脳が動いているようで今もそうだけれども脳がしびれているような感じがする。

だからお守りのお薬は飲まないといけない。

正しく疲れていないだけなのかもしれない。

 

『君は過去の話をする』と指摘をされた。

 

大体10年前のことになるけれども、僕は1年だけ和歌山にいた。

東京で1年会社をやったあと何もかもがだめになり、会社を解散し大体1年東京で社員をしていたがもうだめだということで和歌山に逃げ帰った。

父は他界したあとで、祖父のこともあったしというのは表向きの理由で、完全に誰もいない家に逃げ帰った。

しかし結局和歌山にいたって何も解決しないのだった。

誰もいない家で、結局は仕事をしなさいと言われ、何となくちゃんとした会社に拾ってもらったのに花に水をやりながらオフショア開発で何度も赤を入れている毎日を送っていると『これは別に和歌山でやる必要はないのではないか』と思ってしまった。

病院の帰りによった薬局のテレビで多分あれは五輪がやっていた。開会式だったんじゃないかと思う。

すぐに名前を呼ばれたのでほんの一瞬しか見ていないのだけれども。どこでやっていたものだったのだろうか?わからない。

 

何がきっかけになったのか忘れたが、いくつかの企業に対して転職活動をした中で拾ってもらった会社に入ったが、あまりにも納得がいかないことが多くてすぐに辞めてしまった。だいぶ自分が厄介な人間であることは承知していたが、それでも納得がいかないことを受け入れられなかった。

なにかが起こったとき瞬間で怒れる人間ではないから、どうしてもジメッとしたゲージが溜まっていく。モヤモヤとして何かに打ち込む前にできないことに自分へのフラストレーションが溜まり、泣けないことで自分に当たり、周りに助けをうまく出すことができず結果田として自分がいい方向に向かう事ができなかった。

 

2度めの東京で転職をしたときに拾ってくれた会社さんにはすごく良くしてもらったが、僕はなぜかエンジニアとして採用されていて、エンジニアとしては最低ランクの僕はプリセールス兼ディレクター見習いとして働くことになった。

結局そこも1年でやめてしまうのだけれども、何もかも初めての経験で、人生で一番挫折した気がする。

でもみんな優しかった。けれども、どうしても僕はお客さんとの対応がうまくできず、早朝の誰もいないオフィスの前でオフィスを開けてくれるのを待ちながら、最後にオフィスを締めるタイミングまで居残りながら仕事をした気がする。

それでもその仕事は営業さんからすれば随分とのろまであったしできないことだらけで、自身を持つことはその1年できなかった。

やっている仕事と、もらっている給料にギャップが有りすぎて、自分のことをも全然何もできないのに毎月振り込んでくれる給料に対して組織に還元できていないことを後ろめたく思っていた。

そうこうしているうちに僕は自分の無能さを盾に、仕事をしなくなってしまった。

こんなことは初めてだったし、周りは『焦んなくていいよ』と声をかけてくれたが、僕はそんなに自分ができないことが許せなかった。

結局明確な理由はなくその仕事もやめてしまった。

 

その後はフリーランスになって一旦自信を取り戻すためにできることをしようとお思った。

VRに興味があったので、VRゾーンの仕事をした。

主には技術調査とプロトタイプの作成。

企画とプロジェクトの進行を生業とした。

そうこうしているうちに結局それ以上の発展は見込めなさそうで、暇だった。

そして祖父が亡くなったとき、2度の目の喪主をした。喪主なんて飾り物である。

僕の人生は僕の人生なのだろうか?と思うほどに人に依存している。

 

もうすぐ貯金も底をつく。

今の会社は4年目を迎えられるか怪しいところだけれども、何よりも会社が僕に給料を支払っていないのでジリ貧である。

やりたいことは結構関わらせてもらった。

世の中を少しでも変えたいと思うことをしたかった。

つんくさんとのプロジェクトはもう窓口は僕ではないけれども、なんだかんだといい出来になりそうな予感はしている。

僕は恵まれている。

自分に対してのヘイトと、それをぶつける先が偉い人ということを除けば割とニコニコできる仕事をしている。できない仕事ややったことがにない仕事はしてみたい。

 

コロナなんて関係なく、僕は自分のことでいっぱいいっぱいである。

みんなに迷惑をかけている。

それでもで周りの人は優しいから、ちゃんと話を聞いてくれる。

本当にありがたいことだとおもう。

それでも許せないことはたくさんある。『絶対に借りは作らない』といっていたおじさんは僕からすると借りしか作ってないじゃなんと思う。

そう言う些末な裏切りはだから何をするわけではないけれども、言ったことは履行しろよと思う。

 

サマーウォーズで何度か泣きそうになる。

特におばあちゃんのシーンだ。あの前向きに励ましていく描写はとにかく力をもらえるとお思う。

『あんたならできるよ』という言葉を連呼するシーンで胸が痛い。

僕に何ができるのかわらないけれども。

そんな市況の味方がいてくれるなんて本当に最強に思う。


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またとっちらかってしまった。

カレー食べたいな。

 

明日というか今日はワクチンだ。

眠剤聞いてきたら寝ようと思う。

また記事を書くよ。