終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

海外ゲームの画面がダサく感じる問題

最近釈迦さんの切り抜きを面白く見ています。
こんにちわ僕です。

Valorantというゲームが有りまして皆さんご存じですか?多分ご存知だと思います。
ふとなんか画面が違和感あるなと思って本家の方を探してみたらスタイリッシュでカッコイイ。
これはフォントの問題ねと思ったのです。
英語版はGameUIDatabase https://www.gameuidatabase.com/gameData.php?id=1043
日本語版は釈迦さんの配信を切り抜いたものをお借りしました。

ザラッと比較した。
先に結論を書くと、この日本語化でダサくなる問題はローカライズを前提とするすべてのプロダクトに共通する課題であることは古くから知られている。
では日本初のゲームではどのように表現されているのかを最近発売されたSplatoon3で見てみる。
英語版はGameUIDatabase、日本語版は釈迦さんの切り抜きです。

すごく良くできていることがわかる。
印象を変えることなくローカライズに対応できているということで、これは日本語→英語ということとでの功績だろうか?

フォント問題については二本のゲーム会社はかなり過去からやっている。
LeafToheartなどは世界観を損なわないためのオリジナルフォントを作成していることなどが太古の昔にニュースになった。
(太古すぎて記事を見つけられない)
スクショについてはこちらのサイトから引用させていただいた。http://sisilala.tv/myarticles/387

ヴァロラントをちゃんとかっこよく見せようよと言っているのではない。
UIにに深く結びついているということが問題かなとおもう。
これは何が問題かというと視認性能について機能的でない可能性があるということだ。
HUDは現実社会には今のところ一般的に無い。
しかしゲームやソフトウェアである以上『なにかある場合』にそれを認知させる仕組みが必要になる。

自分で取った写真に適当に情報をオーバーレイさせたもの。
現実社会にないけれどもスケジュールや現在地、時間や気温、体調や抱えているタスクなど、様々な自分のステータスを考えながら生きている。
脳内にあるものを視界に再アウトプットして生きているわけではない。
しかしゲームやソフトウェアではインターフェースがなければ視覚情報だけではオペレーションに支障があるため表示物が必要になる。
その際にできるだけ邪魔でない状態でそれらにはあって欲しいが、違和感をおぼえるほどの存在感があるとストレスになることが考えられる。

基本的にこれからのプロダクトは世界中で展開される事を前提としてローカライズがあたりまえになるだろうと考えられる。
これからの未来に違和感のない表現の新しい発明があることに期待したい。

やっぱりかっこいいものはかっこいいものとして捉えたいと思う。