終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

ネタバレあり 僕は君を愛している

婚活をしていて、今は少しお休み中です。
こんにちわ僕です。

反省と後悔をしないように生きているということを声高に生きているのですが、ここ数年いろいろな心境の変化がありました。
後悔はしない、反省は少しする。
そんな風に少しだけ切り替えることにいつの間にかしました。
反省しないって言うと、何も学習しないみたいで嫌だったのと、固執することではないなと思ったからです。

先日の5月に、輪るピングドラムの劇場版がありました。
5月だったと思います。僕はそこでちょうど仮交際が始まった女性と映画を見に行くことにしました。
どうなんだろうと思いながら見ていたのですが、僕はすごく楽しめたし、一緒に行ってくれた方も楽しかったと言ってくれました。
次は7月なんだと思っていました。
でも、その次は来ず、僕は公開初日の今日『僕は君を愛している』を見に行きました。
だから、僕は最初の劇場を見に行ったときに、後編も見に行こうと言うべきだったような気がしていて。
こういうことが後悔で、そういうことをしないように生きていこうということを考えながら生きています。

輪るピングドラム、これはすごい作品です。
多くの人が1995年について、もっと言えばその周辺の90年代中盤の話がしたいということを今話していたりしますが、その話を丁度10年前にしていた話です。
ということになっています。

今回僕が取り上げたいのは構造のことと、愛というのは一体この物語において何が示していたのだろう、ということを少しだけ書いてみたいです。
なので、大いにネタバレが含まれますので、楽しく見たい方は全部見てから記事を読んで下さい。


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まず輪るピングドラムの構造として、兄弟、恋人、家族、運命、というようなものが折り重なっています。
家族や兄弟で言えば、高倉3兄弟に血の繋がりがありません。
詳しく解説しても仕方がないので高倉3兄弟ということで言えば次男の昌馬が実の子。冠葉は夏目真砂子の双子で、マリオとの3兄弟。ひまりはほぼ無関係の孤児(表現間違っていたらすいません)として扱われています。
夏目家は相当なお金持ちで、祖父が全部の富を築いたというマッチョな家です。

物語の妙として、りんごちゃんが挙げられます。
りんごちゃんはたぶきという青年に憧れていますが、その憧れは姉のももかに由来しています。
自分を持たないももかの生まれ変わりとして振る舞おうというのがりんごが最初に持っている動機です。

タブキおよびユリはももかを大事に思っている二人で、二人はももかによって過去に自身を救われていることにより、ももかを神聖視しています。
このももかという存在を失わせた当人として高倉父母及び団体が出てきます。
ここで、重要なのは高倉父母及び団体は社会を変えるための活動をしていただけであり、ももかの特殊能力と直接対峙しているわけではないことです。
ただ実際問題その事件に巻き込まれてももかは命を失ってしまいます。
このことで、タブキとユリはそれぞれに復習を誓う中となります。

ももかには運命を乗り換える魔法を使う能力があり(シュタインズゲート鳳凰院凶真みたいですね)、代償として自分の身を焦がします。
そして自分が大事に思っている人が傷つかないように道を作る役目を持っています。
一方高倉3兄弟は原因不明の病弱な妹ヒマリを救うために様々な手を打ちます。
その中で、出会ったものがピングドラムというものだということです。

何を書いているのかさっぱりわからないと思います。
時系列で並び替えます。

サンシャイン水族館で兄弟3人で遊んでいるときにヒマリが倒れます。昌馬と冠葉が霊安室で悲しみに暮れていると突然ヒマリが蘇り『ピングドラムを探すのだ』と二人に司令を出します。
ヒマリは奇跡的に回復しますが、ピングドラムは何かわからない二人は、りんごちゃんとコンタクトをとることになります。
りんごちゃんはタブキのストーカーで、それはももかの日記によって未来に記されていることを行っているということです。

このへん書くとノベライズを読んだほうがいいのでリンクを張っておきます。

 

あ・・れ?中巻があったはずなのだけれども。

なんやかんやありりんごちゃんはたぶきが好きなのではなく昌馬が大事な人だということに気が付きます。
しかし、昌馬からりんごちゃんに対して過去のことについての懺悔があります。

というような感じで、全部を書くのはしんどいのでここまでにしますが、結局この話を通して『ほんとうの”さいわい”について』の話が一貫して行われます。
人は複雑に絡み合い、定点としての正義がないことを自分たちは知っています。
なのに、何かを悪者にしたりしてしまうのはどうしてなのでしょうか。
ほしいと思ったものが必ず手に入るわけではないことは、どうしてなのでしょうか。
本当に正義や悪なんてものがあるのでしょうか。

そんなふうに思いながら映画を見終わりました。

 

外に出ると夏っぽい空気で、少しリセットされた気がしました。
まだこの日々は続くのだと。