終末を待つための雑記

いつか一人ぼっちじゃなくなることを夢見て

息の詰まる社会

雪山から一転渋谷のクラブでハウスを聞きました
こんばんわ僕です

今日のBGM 

soundcloud.com

ChatGPTで成形しようと思いましたが、重要なところのニュアンスが変わってしまうため稚拙なテキストにて失礼します

Mt.乗鞍スノーリゾートに行ってきました
金曜日の深夜に車で出て休憩を除くと約4時間ちょっとで現地に
2年か3年ぶりのスキーで、とにかく体がバキバキになりました
楽しかったですね
気を抜くと即ケガを感じるので気を付けることが大事です
乗鞍という名前で勝手に白馬だと思っていましたが、上高地の近くで全然別の場所でした
すごい良かったですね
雪のタイヤは絶対に必要なところでしたが、寒波の合間に行けたのでかなりコンディションが良く、さらに人も少なく本当に穴場でした
クラファンありがとうという看板があって盛り上がっていました、どういうことなのだろうと思っていましたが、本当になくなりかけていたようです
とてもいいところで本当に美しい場所でした

www.madonna-norikura.com導線はおそらく昭和のままだと思うのですが、多少滑れるスキーヤーであれば楽しく遊べると思うので皆さんも行ってみるといかがでしょう
取ってくれた宿も素晴らしかったので、一度どうぞ

失敗したことは、車中で眠ることができず、1日目を終えたときにかなり意識が悪く、OuraRingをなくしてしまったこと
そしてあまり写真を撮らなかったこと
車を出していただいたドライバーのお二人と平田さんありがとうございました

今週末は何もしないで居ようと思ったのですが、誕生日会に土曜日に行き、日曜日は高瀬さんの修論の展示会に行ってきました

スキーに行くときに修論が書き終わったことを聞いていて、先週半ばごろに博士課程への進学が決まった報告があったのでこれはめでたいと思いました
展示にかなりシュッとした形で論文を描いたということがあり、内容はフィールドワークの痕跡が色濃くありました
論文としてはいまいちピンとこなかったですが、そもそもエスノグラフィーという形を修論で読むことがなかったため日和りました
ちゃんと読むべき文章だが、我々は知っているなと思いました

ギークハウスの成り立ち、そして渋ハウスの組成、そもそも2chのオフ板のβ版ころからいる人間として、人々が在ることが本質でしかないことはなんとなく理解しているつもりだった
高瀬さんが「わかっているんですが、テキストになく、テキストにあってもポップに書かれていることを見てしまうと」というようなことをおっしゃっていて、確かに、という気持ちは十分梨理解できました
同時にポップでなければならないという側面もあったなぁと
もっとつめて話をしたいなと思いました
戦争の話はした記憶はないですが、面倒な時代が来たなと考えています
同時にややこしい時代でもあるのだろうと思います、個人ではあるがしかし社会とも密接である、ただその間には薄く超えられない(壁のような)何かがあるように感じられる、きっとおそらくもう知っている

大学生のころから数年間所属とは違う大学の教授のお手伝いをしていたことがある
子供や、障がい者さんたちへのアプローチもあった
教授は少し前に退官されましたが、今でもその一部のプロジェクトは続いている
自分のいた研究室ではフィルムオフィスを作ろうということをやっておりました
もうないですが、当時の相原では旧駅舎を含め映画のロケ地にばっちりなロケーションがたくさんあることをマッピングをしてアテンドすることがきっとまだ新しかった
当時出たばかりのいくつかのサービスを使って実現させた記憶がありますが当時は誰もそれを理解することができず、管理できませんでした
そして不完全なまま放置したわけですが、今から考えると不親切極まりないですし、それを提供するためのインフラもなかったのではないでしょうか
随分と偉そうに振舞ってしまったものだと反省しています

yugi-katakuri.or.jp

www.tourism.jp

地域の人々と、近所にいる人たち、同じ屋根の下にいるということ、そしてもっと近い関係になることは、原始的な学問だなと思います
しかしそれらに正しい解答はなくて、選択と許容みたいなものを繰り返すことなのだろうと
社会を構成するものを吟味し、探求することで救済そのものを具体化しようとした時期が自分にもありましたが、困難を極めることがわかってからはあきらめました
しかし高瀬さんのような新しい世代でもメシアを目指すのであれば、知っていることは伝えるべきでしょう
齋藤恵汰が書かなかったテキスト、phaが書かないテキスト、炭谷先生が書いたけど埋もれてしまった論文、ひろゆきが語らない過去、評価しないこと、残さないことが悪いのだろう

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

すべての人間に責任があり、すべての人間は許される価値がある
それは雪山を前にしたすべての人間が愚かにも「大丈夫だろう」という油断からくる怪我と似ている
準備と注意がなければ命という火は、神の息吹で消されてしまうはかないものなのだろう

世の中は雪と穴で大変ですが、まだまだ頑張って生きてゆきましょう、何と今週末には3月です

次回花見でお会いしましょう