終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

林檎の皮を割と上手に剥けた記念

どうも僕です。
皆様におかれましてはおなかが緩いといったおじいちゃんのようなことは起こっていないと思いますが、僕はトイレが非常に近い人なので、脳内トイレマップがないと生きていくのが厳しい毎日を送っております。

知らない街に降りたときにすることは何ですか?
そうですね、コンビニの位置の把握、景観を眺めながら、ショッピングセンターの位置の確認、そしてパチンコ屋の有無。
全てはトイレの場所を把握するために行っていることです。
Life is waterroom
生きるをサバイブすることにおいて、とても重要なファクターに思います。

年末に向けてはしゃぐ人間がおりますが、僕もまさにそうで、毎日はしゃいでいます。
預金残高がどんどん減っていきます。
ビットコインみたいなきれいなカーブです。
ビットコインがピザ一枚の値段になったら、100枚ぐらい買おうと思っています。
どんな価値が正しいのか、それはだれにもわかりません。

ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、このエントリに特に主題はありません。

会社は立てたんですけど、まだ発表できることは一つもないですし、何をやっていくよっていうのも定まっていないので今ははじめましたとしか言えないのがもどかしい。
ありがたいことに、すでに小さいですが仕事は頂いている状態です。
それをずっとやっていく事はできないのですが、最初にしては面白い仕事だなって思っています。
どんどん色んな仕事ができればいいなと考えています。

以前やっていた会社は毎日が苦しかったので、いや、楽しかったですけど。
ずっと不安でした。
なので今回はできないことはできる人に聞こうと。
ガンガン外に振っていこうと思っているので、もちろんできることは全部やりたいです。
でもマンパワーってまだやっぱりすごくて。

AIって人間の仕事奪うって言われてますが、そうなのかもしれません。
でも意志の決定そのものは、AIにできるのだろうか、日本にいるからかもしれませんが、AIにはんこを押すことができるだろうか?
なんてアナログなことを考えています。
おそらく本当にはいはい今日はこれですねって、全部機械が指示してくれるようになることと、娯楽だけで生きていけることになったときそれは幸せなんだろうか。
人間である以上、悔しさやもどかしさを感じることで、楽しさを感じることができるんじゃないだろうか。
そんなふうに思うのです。

人間は敵を作りやすく、敵を作りたがり、戦うことが好きなように感じています。
ダリフラを見たときに、本来戦うべき相手がすでに中にいるのに、そんなふうに疑うことができない世の中を作ってしまうこと。
そして、長い時間をかけて、本来戦うべきではない相手と戦うこと。
双方消耗したときに本来の敵と戦うこと。敵は誰だ。思念体であると宣言している割には、実態に愛を感じていること。

人間は何であるのだろうか、僕にはまだわからないのですが。

三角座りが好き。殻に閉じこもってる感じがするから本当に好きです。実際にはあまりしないのだけれども。
三角座りをしている人には大きな羽があって、いつでも羽ばたけるのに、その羽根はもろく、粒子でできているから、
実体化させるためには、まず大地に立って胸を張ることが必要なんだと思う。
その時初めて、大きな声で私はここにいると叫んで、羽が実体化し、羽ばたくことができる。

少なくない誰かは、三角座りをしている気がしている。
でも、その人達が一歩を踏み出すために必要なプログラムが現代日本にはあまりないのではないだろうか。
忙しい世の中だ。
誰もが、今あるリソースを使いたがる。余裕がない。臆病だ。臆病なのが悪いわけじゃない。
臆病で且、諦めが早い。
残念ながら、超人はいる。ヒーローもいる。
でも、多くの人間は、残念ながら、ヒーローでも超人でもない。
ならば、たった一人、社会と闘っていくしかない。スイミーみたいに群れをなすことも時には必要だ。
ただ、たまにスイミーのように赤く光ることが必要だ。
チャンスは前髪しかないという。チャンスを掴んで離すな、流れが早い世の中だ、チャンスの女神の首をもいでも、髪を掴んで離すな。
諦めたら、そこで試合は終了してしまう。

僕もわかってはいるができないことがある。認められないことだ。
人から嫌われることが怖い。事実、敵がたくさんいること、僕のことが嫌いな人間がいること。
そんなことはわかている。でもそれなのにそこから目を背けていたい。怖い。
でも、ヒーローには敵役はかならずいる。
敵役がいなければヒーローが成り立たないからだ。

だから理解はしている。僕にも強大な敵を認識し、どのような方法でかそれに打ち勝つ強さを手に入れるべきなのだと。

脳内でトイレマップを知らず知らずに作れる。僕は、やっていくことが、できる。
そうして、困難は困難と理解して、困難ではなくすることが僕のミッションなのだろう。
そう、まだ今年は残されている。今年できることはまだあるはずだ。
だから僕はまだこれからもやっていくことができる。来年のために、次のステップを踏むために。

特に何も内容のない文章を書いてしまった。