終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

100万円の指輪をあげた話

あれはいつだったか思い出せないのだけれども、結構前の話だ。
最近ようやく笑い話としてたどたどしく話せるようになった事があり、
それは何かというと『100万円相当の指輪をあげた』話だ。

僕が会社勤めを初めて1年ぐらい経ったときに、色んな経緯で一瞬だけ付き合った恋人がいた。
正月の帰省から帰ってくると彼女は消えていた。
何の跡形もなく。まるで最初から存在していなかったかのように。
僕はなんとなく予想していたので、まぁ、そういうこともあるだろうと思って、いろんなものを諦めた。
その話はまた今度しよう。

その後僕は随分アポイントを埋めて色んな人にあった。
今はもうないカフェや飲み屋で、時には二人で、時には15人とかに膨れることもありながら、2週間を過ごした。
僕は最後の方は疲れ果てていて、何も喋らなかった。

最後に来た女の子は、異常な美少女だった。
ふたりとも喋らなかった。無言の時間が流れた。
新宿の今はもうないユイットだ。
でかいマグカップに入ったコーヒーを疲れた顔をしてすすっていた。他愛もない話を少しだけした。
僕は帰りにエレベーターの中で彼女にキスをして、もう一度会いたいと言った。
彼女は驚いく様子もなく、いいですよと言った。

それから僕達は付き合って、4年弱の同棲生活を彼女の卒業とともに始めた。
僕はすぐに性交渉に対してレスになってしまうところがあり、そういう意味では全く彼女には申し訳なかったのだけれども、
ふたりともインドアであったこともあり、割と楽しくやれたようなきがする。
いろんなことはったと思うのだけれども、忘れてしまった。
狛江で過ごした一番楽しい時間だった。

3年目のクリスマスだと思うのだけれども、婚約指輪を彼女に渡した。
それが100万円相当のものだったんだけれども、実はここについていたダイヤモンドは、祖母の形見だった。
『気持ちが重いかな』と僕は恐る恐る聞いたが、『大丈夫、嬉しい』と彼女は言ってくれた。
台座はイエローゴールドで、小さな羽とハートをあしらったオーダーメイドだった。これだけでも20万近くかかったんだけども。
それから一年と少しで僕たちは結局別れてしまったのだけれども。

彼女は極端に人間となじまない人で、僕以外の人間以外は職場の人としか喋らなかった。
あと彼女は自分をお人形さんのように取り扱ってくれる男性にしか興味をしめさなかった。
遊び友達もなく、僕は彼女と共通の友人を作ることができなかった。

子供を作らないという選択肢が僕を苦しめていたというよりも、それはただの言い訳だった。
僕は子供を作るかどうするかまだまだ迷っているし、正直彼女がいらないと言っていたことに乗っておけばよかった部分は大きくある。

父が死んだとき、僕は彼女と同棲状態にあったがすでに別れていた。
電話をする相手もなく、ただどうしようもない僕が彼女にメールをすると、『行こうか』と言ってくれた。
ありがとうと言って断ってしまったが、本当に少しだけ救われた気がした。

彼女とはとても理想的な生活をしていた。
家賃が僕が払い、残りの生活は彼女が払っていた。(家賃が9万円ぐらいだったので、そこを上限として)
9万円を食事や光熱費に使うことは難しいので、貯金していたようだった。
僕が料理をする、彼女と食べる。一緒に駅で待ち合わせをして外食をする。
稀には休みの日にデートする。

完璧な人間なんて存在しない。
僕は彼女の欠点に目をつむるべきだった。
それだけでよかったんだと思う。でも彼女はもういない。

それから僕はまともに恋人として付き合った人はいない。
ほんの数ヶ月の単位でならあるけれども。

100万円の指輪の話は、こんなチンケな話だ。

僕の人生は、もうほとんど終わったんだ。

34歳になりました。

おめでとうございます。ありがとうございます。

 

さる、11月17日の午後7時より秋葉原のHUB(昭和通り口店)にて、自分の誕生日会を自分で主催した。

この季節ではなくても何らかと理由をつけて会を催すことはあったが、誕生会ははじめてである。
ニコニコ動画ツイッターなどで募集はかけていたのだけれども、結局きちんと集まるメディアは今の時勢だとfbらしい。2chは、今回除外してみた。
案外知っている人が祝いに来てくれて、総勢で二十数名が来てくれた。
プレゼントも、お酒をもらったり、グラスを頂いたりバスボムをもらったり、化粧品やヘッドドレスをもらったり様々に頂いてしまった。
ラフロイグに至っては同じ便を2本頂いた。ありがたい)

そんな感じで誕生会に来ていただいた方、ありがとうございました。

閑話休題

実家のいろいろが落ち着いたけども、それは記すか記さないかわからないけれども、とりあえず。
実家から何冊かのラノベを持ってきた。

 

 

 

 

超人間・岩村 (SD名作セレクション(テキスト版))
 

 

 

君のための物語 (電撃文庫)

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こうして彼は屋上を燃やすことにした (ガガガ文庫)

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くあっどぴゅあ (ファミ通文庫)

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恋の話を、しようか (ガガガ文庫)

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青春ラリアット!! (電撃文庫)

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旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫)

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫)

 

 知ってる人がいたらいいですね。

僕がなぜ中間成果物が出ないかということへの言い訳

将棋や機械学習について、全く僕自身知識がないのだけれども、色んなアプローチがあるということだけを知識として知っている。
でもどんな方法があるのか具体的なものは知らない。

こんなことどうなのだろうかと思っていることが一つだけあって、すでに実践されている方はいらっしゃると思うのだけれども。
将棋なら
『終局状態を先に決めてしまって、そこに対して臨む』
と言うもの。

なんでそんなことを思うかというと、自分が日常生活の中で、何らかの課題が出てくる。
そんな時に自分がどのようなプロセスで課題に取り組んで解決しているだろうと思った。
結論から言えば、結果を先に決めてしまっていることが多い気がする。
もちろん、揺れるし、そのとおりにいかないことばかりなのだけれども、最初期時点でかなりの可能性を刈り取ってしまって、目標に向かって最短距離を走れるようにしている気がする。
過程やプロセスはもちろん大事なのだけれども、それはコミュニケーションなどのパフォーマンスだと考えていて、生きていく上での演出と言うか、本来的に必要ないのではないだろうかと考えている。

結果的にそれが、正しいかどうかというかということは、それを評価する何かが決める。裁定者は自分であることもあればそうでないこともある。
正しくなければ、もう一度イテレーションを回せば良い。
イテレーションを回すためには時間が必要になる。
なのでイテレーションを早く回す必要がある。
生活や生きる為のサイクルをコンパクトにして、イテレーションを回せる機会を増やす努力をしている用に感じている。
結果として、過程よりも結果に幅をもたせるように努力している。

と、言うような生活を送っているので、結果を常に意識して(結果は常に勝っている想定)、そこに至る最短のプロセスを組み立てればよいのではないかと思った。
そこに至る過程は無限にある。しかし結果は同じなのだ。(勝つということにおいて)
何に勝つと言っているのかというと、正しいという回答を得られること、なのだと信じている。

僕はゲームが好きだだけれども、機械と行っても、対人戦でもほとんど勝てない。
ルールを熟知しないから、自分の中での最適解を見つけられていないのだと思う。
ゲームもトレーニングなのだと思う。
ソラで歌詞とメロディを覚えていれば歌を歌える。
そのように至る回答を達成するためのトレーニングが十分であれば、省ける手順はガンガン省けばいいと考えている。

うまくまとまらない文章になってしまった。

どこかでまたかけたらいいなと思う。