終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

さよならが続く日

遠縁ですが、随分昔から仲良くしてくれていたおじさんがなくなりました。

どのぐらい遠縁かというと、祖母の兄弟でした。そうか、生きている人を基準に考えるから遠回りをするけれど、祖母の兄弟というと、そんなにものすごく遠い感じはしないんだな。

お茶の先生で、元々は公務員で、自分のやりたいことはお茶だって見つけて、割と極めた感じの人だったと思います。おととしあたりに一度だけお茶をたてて頂いて、飲ませていただきましたが非常に美味でした。

そういうことももう無くなるのだなと思うと、和歌山の土地を思い出します。東京はやはり遠いです。

 

一つ前のエントリで恋人と分かれていたということを書きましたが、さっきラインで『さようなら、鍵はポストに入れておくね』ときていて、今日はさよならが続く日だなって思いました。思うっていうか事実そうなのだけれども。

けれども、さようならを本人から聞けることと、周りから客観的に聞くことには大きな隔たりがあるような気がしたのです。

実際そうなのでしょう。

恋人はもう逢えないわけではないのです。あわないだけで。

昔の恋人のことを思い出したりもします。映像表現でよくあるように、顔にクレヨンが塗りつぶされたように、ほとんどしっかり思い出せる人なんて数えるほどしかいないわけですけれども。

僕の記憶はあやふやで、曖昧で、水曜日だからというわけではなく、心なしか冷たい気持ちがあります。

 

最近スタードライバーの劇場版をみて、まだ自分にできる色んな感情があるなって思ったばかりなので、そういう気持ちを大事にしていきたいと思った。