終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

インタラクションについて思うこと

未来が見えにくい。
インタラクション、行動について考えてみる。

ソフトウェアインタラクションはどんどん気持ちがいい動きをするようになっていて、動きという意味ではずい分昔に映像芸術という形で様々な気持ちのいい動きがアニメーションという形で表現されてしまっているので、再発明という言い方が正しいのだと思う。
完全な新しいトランジションはおそらくなかなか見ることはできないと思うので、何らかの模倣かオマージュと行っていいと思う。

ハードウェアインタラクションは、スイッチの域をなかなか出ることができない。
これは触れることによる安心感からくるものなのか、ワイヤレスデバイスについて信用ができないでいる。
恐らく身体性の個体差の大きさから来るのではないあろうか。ワイヤレスデバイスということはなにか小さいものを体につけるか、もしくはカメラなどのトラッキングが必要になるわけだけれども、人それぞれの癖はなかなか統一できないし、何なら筆跡は一人ひとり違い、同じ人間であるにもかかわらず小さな動きは異なっているのだ。
ハードウェア側でこれを受け止めようとするのは大変に難しく、結果としてスウィッチという古くからある装置に頼っているような気がする。
色んな意見はあるだろうが、僕は一応上記のように解釈している。

倉庫業務などがロボットに変わることができるのは、人間の身体性を無視することができるからだと考える。
識別し、決まった動作を繰り返す。これは人間である必要が無いのだ。

人間である必要が無い創作活動とされるものは今後どんどん職としてなくなっていくだろう。もしかすると、例えば不動産屋だってごく一部を除き淘汰されるかもしれない。
それは、多くの手続きが人でなくても良いと思うからだ。
”問い合わせ、内見の申し込み、申し込み、審査(簡単なものは審査会社をつけるオプション)、入居手続き(ここは人間の説明が必要だろう、責任が伴うので)、入居、入居後の問い合わせ(緊急時を除く)、退去(正規の手続きを踏んでいれば簡略化)”
と言った風に、ロボットやシステムで解決できる部分が多くある。
実際にそのようにしている新しいウェブサービスもあるだろう。
仲介手数料がない不動産屋などは、このような手続きをある程度システム化してしまっているからではないだろうか。

インタラクション自体は基本的に遊びである。
なのでゲームや趣味や嗜好品の中には多く取り入れると良いと思う。
けれども、そうではない業務の中では、様々なデバイスが開発され、人間をいかに増やさないかということを突き詰めていくべきではないだろうか。
そうして人間は仕事を失っていき、新しい仕事を見つけていくのだ。そうしないと人間はイノベーションがない。僕はイノベーションは偶然起こるわけではないと思っている。けれどもいまあたりまえじゃないことが当たり前になっていくことは誰もがそうだというふうにニュアンスでは伝わっていると考えている。そのニュアンスが自分の職業がなくなることになると、とたんに否定する。その否定に真実はあるだろうか。

いろんな職業がいなくなると思っていい。IT関係は自分たちで、自分たちの仕事を減らす。
デザイナーは少なくなる。プログラマーもどんどん減ってゆく。インフラエンジニアもいらない時代が来る。ディレクターはプランナーと兼務できるようになるし、予算管理をするプロデューサーはよりサービスの内容について考えられる時代が来るだろう。
今30人で作っているサービスは、コアメンバーが5人になる可能性が十分にある。
スケールアウトさせることが企業価値の向上という時代ではないのだ。人間はコスト、時間はコスト。

ソフトウェアインタラクションの使いみちはどんどん変遷するが、増えることはない、移動するだけだ。
ハードウェアインタラクションは、人間を通過して、システムに組み込まれる。そして無くなる。

きっと。