世界の果てで終末を待つだけの雑記

患った中二病は30代になっても僕を蝕む

美大とメディアと就職と

いろんな所で自分の出生だったり歩んできた事だったりを書いているのだけれども、自分が学校を選んだ事や、なんで今ITという大きなくくりでしか自分の仕事が表現できないかという事について書いてみたいと思う。

 

僕は元々高校生のときに演劇部と放送部(それからいくつかの文化部)を兼部していて、諸々の暗黙のルールから逸脱した生徒ではあったのだけれども、結構いろんな部活に迷惑はかけたけれども、とりあえず僕としては面白かった。特に演劇ではキャストから裏方まで一通りやらせてもらえたし、照明のつり方から回路図まで書いた。残念ながら学校の設備は古くて、照明卓でパッチをくんだりという事は出来なかったのだけれども、1Kwの照明とか殆どの人は触る機会もないだろうし、貴重な経験をしていたと思っていた。キャストをするという事はお客さんの前で演じるという事なのだけれども、いろんな不安とかがごちゃ混ぜになって、本番になってもまだ勇気が出ず、セリフの一言めを口から発生すると、あっという間に1時間とかはすぎた。練習すればするほどにミスは減ったし、誰かのミスをカヴァーできる余裕が生まれる。そういうのを経験させてもらったとおもう。僕は心配性で、最後まで台本を離せない人間だったのだけれども、台本を見ているというよりも空気をつかむためにどうしてもほんが必要で、だから台本を1度離すとあとは殆どアドリブ含め自由に演技が出来た。放送部ではお昼の放送もつくったし、ラジオドラマなんかを作って賞をもらったりした(小さな賞だ)。高校生だから、殆ど何も基礎なんて教えてくれないし機材の使い方も先輩から口伝してもらうしかない。放送部でミキサーという役職を選ぶと、ケーブルをばらしてもっかいつなぎ直す、という伝統的なテストが行われるのだけれども、基本的に僕はずるっていうか、間違えないようにケーブルを準備していたので、早かった。長くなったけれども、高校受験失敗したから、勉強しなくて、部活と恋愛ばっかりしていた。このまま舞台をやりたいな、という思いと、舞台では現実的にくっていけないだろうな、という事から、メディア系の勉強がしたくて専門学校に通う事にした。こんな僕だけれども、当時はデッサンもしたし、色彩構成をしたり、美大予備校も短期で通ったりした。昔は水張りとかも出来たんだよ?

 

それでいろんな専門学校を見て回って、いろんな人にあって思ったのは、ここでやりたいかやりたくないかっていうシンプルな解答で、一番何となくやりたいかなって思ったのが一番小さい学校だった。別の学校でオープンキャンパスじゃないけど、たまたま高校生向けのプログラムがある所にでくわして一つ年上の先輩にあたった事があるけれども、残念だけど僕の方がツールの類いも使えたし、ようはこのレベルか、という感じを受け取っていた。僕は選んだのは千駄ヶ谷にある学校で、卒業されてから数年間僕の静止画の作品が学校にプリントアウトされて飾ってもらえていた。ただ単純に忘れられていただけなのかもしれないけれども。ノンリニアの勉強ができるってことで決めたんだけど、入ってみると、premiereやAFxについての知識は僕が一番深くて、なんだかあべこべだな、と思ったりした。ただ、リニアの編集を教えてもらったし、業務用のベータの編集機なんかを触ったのも面白かったし、VHSのオフライン編集を体験したのも面白かった。タイムコードとか、インターレースそういう基礎的な知識を身につける事が出来たし、何より少ない人数の同級生の中で、僕がどんどん追い越されていくのが悔しくもあり、すごいなって素直に思っていた。

 

専門学校2年目になって、何となく就職活動したんだけれども、いまいち表現する事を主眼として仕事をする事が出来ないなって思ったので、既に僕はフリーのウェブデザイナーだったし、ポートフォリオもあったので、すごく分の悪い賭けだな、と思いながら東京造形大学の3年時編入の道を選んだ。ファインアートをやる気はなかったし、映画のようなフィールドワークよりも個人制作をしたかったので、映像芸術という分野がある事を知ってそこにエントリーをして、書類が通って、面接を受けて、合格した。入れなかったらデッサンからやり直して、受験勉強をして1年からやり直すつもりだったのだけれども。入ってみて、学生の意識の低さに愕然とした。まぁ、もちろんそれは一部なのかもだけれども、専門学校のようなハングリーさも無く、エゴイスティックな意識の昂りをもっている人間はほんの一握りで、あとはなんというか、ぬるま湯だった。きっかけがあって、近くの女子大学の研究室に出入りするようになって、そこの教授の手伝いを時給1000円でやった。手伝いは多岐にわたって、スイッチの接続からポスターの入校、もちろんウェブ、かわったものだと、表彰状のデザインから印刷まで、という事もした。あとはたまに入るウェブのしごとや動画の仕事をこなしながら、個人の制作に打ち込んだ。大学であまり深くこれといって学んだという意識は今を持ってもあまりない。欲しいものは教えてくれるし、資料の殆どは手に入るのだけれども、どれも今をみてなかった。トヨタの八王子研究所に行けたのはとてもラッキーだったし、もの作りの原点をみた気がして、刺激を受けた。

 

卒業近くになって、就職活動をせずに女の子を撮っていたら、起業の話がきた。これは相手に失礼になるかもしれないから企業名は伏せるけれども、ペアリングとか作ってたりアルタに入っていたりするアクセサリー企業様だ。上場を視野に入れていて、ちょうどITバブルの頃だったから、IT部門をもつか、IT企業を傘下に入れたいという事だった。僕と当時の仲間は新しい時代のSNSと、新しいカタチのアイドルを作りたい話をし、登記間際まで話がすすんで、お金も企業口座を作って振り込まれる間際までいって、頓挫した。頓挫した理由については、僕が未熟だったとしかいえない。そのときにはもう大学院に行くことに決めていたし、大学院でのテーマは、スタートアップでの経営についての芸術的側面からの検証の修論、というものだった。しかし、夏頃にそれが頓挫した事もあり、研究テーマを変えざるを得なかった。僕もさすがに疲れきっていて、死のうと思った。色々あって、結局死なずに今も居るんだけれども、院の修了制作テーマをでっちあげ、集められるだけのお金を集めて、無意味な空間を作った。村上春樹が好きだから、なんというか入り口と出口があって、そこを通過するだけの、そんなものを作った。

 

演劇から始まった僕のメディア制作は紆余曲折をもって、無になった。

『ただ美しいもの』というものが、こんこんと流れるテーマになり、そこに意味はなかった。あまりにも無意味だったので、先生方に説明するのが難しかった。

 

気がついたら4月になっていて、無職になっていた。それから先はどこかのブログで書いたと思うから書かないのだけれども、中途採用になるまでフリーランスでいろんな案件をやった。放送大学の撮りから編集までやったり、撮ってほしいといわれて女の子を撮ったりした。

 

僕はずっとインターネットが好きだった事もあって、あとは、今ないものをカタチにするってことが好きで、理解された人からは結構仕事もらえたりして楽しかった。でも全く食うには困っていて、サラリーマンに逃げた。やった事のないJavaの仕事をして、Flexに移行したあと、業務システムのリプレイス案件をいかに真似をしないで作る買って事に終始した。プリセールスにも営業案件にも出張った。Fedexにポスターを印刷しにいったし、名刺のデザインもやらせてもらった。もちろん年賀状も。

だから僕は修士(造形)Master of Arts なんだけど、そんな実感は全然なくて、ずっと制作しているか酒を飲んでいるか、女の子を抱いているか、そんな生活をしていた。

 

今の美大生がどんな事になっているのか、母校の専門学校生がどんな気持ちで居るのか分からないけれども、人生は旅じゃなくて、『何か』の連続で出来ているっていう事だと思う。怒られる事もほめられる事もいい事も悪い事も含めて、全部経験。今の所殆どは人間を相手にビジネスをしているので、仕事中にブログを書く事もやり方次第だし、自分のポジションの立ち方次第だなって思ってる。

今美大にいってて、いろんな事に悩んでいる人たちは、悩むよりももがいた方がいいと思う。隣の人と同じ事をするよりも、尊敬する誰かの作品をオマージュする事よりもそのとき説明できない気持ちを、制作に向けるべきだと思う。

やりたくない仕事はしなくていいし、お金がないからって理由だけで、安易に自分の出来る事を切り売りするような事をしなくていいと思う。ただ、発信だけはしてほしいと思う。僕には無理だけど、そうやって発信をしている人を見つけて面白いっていってくれる人が居て、その人がスポンサーになってくれるだけで割と生きていける。他の大学の人たちに交じって一般職を無理にする必要なんてない。僕の人生は成功とはいいがたいけれど、まぁ、楽しかったし、これからもそこそこ楽しくやりたいと思う。

自分が面白くないと、誰も笑ってくれないから。

いま、専門、美大にいってる学生さんたちが、不幸だなって思ってたら、自分の歩んだ道があるかちゃんと確認してほしい。そこには作品があって、堂々と目の前に展開できるよねって、僕は問いたい。堂々と出来るなら、チャンスをあとはつかむ勇気を持てたら二重丸だ。

 

最後に、もっかい起業させてくれるチャンスをくれるなら、声をかけてほしいし、その準備は、8年前よりは環境がある。うまくやれる自信は、少し他の人よりも欠けているけれども、僕の経験は全然悪びれるようなものは一つもない。ちゃんとプランも用意しよう。抽象的な夢物語からブレイクダウンして、現実的な制作案まできちんと道を作ってみせる。

 

久しぶりに長文を書いて気持ちよかった。ここまで読んでくれたひとありがとう。