終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

チャットが苦手

今年の夏は一日の何処かでスコールのような雨が降る
小さい頃から夏には夕立というものがあって、夏の夕方に雨が降ることは不思議なことではなかった
しかし、降る時間も短く日が落ちることにに夕焼けが見えていて、乾いていくときのアスファルトやコンクリートの匂いを今でも思い出す
こんにちわ僕です

チャットだけでなくテキストコミュニケーションが苦手だ
苦手だ、と書いてしまってはなぜ苦手なのかが明らかさにされないので、苦手なことを少し考えてみたい
例えば以下のようなやり取りになりがちである
[sampleA]

自分『こんにちわ』
相手『こんにちわ』
自分『次の日曜日友人の家で花火大会見ようと話してて、何人か来るみたいなんですが、興味あったら一緒にどうですか?』
相手 スタンプ

みたいな感じがいつもの流れ

おそらく一般的には
[sampleB]

自分『こんにちわ』
相手『こんにちわ』
自分『夏の花火の季節』
相手『夏祭り、大きい花火』①
自分『この間の花火中止びっくりしました』
相手『直前でかわいそうだったね』
相手『かわいそう?』
自分『いえ、仕事してて、いかれました?』
相手『人混みが苦手で』②
自分『今週末の花火大会、友人の家で見ますよ』
相手『へぇ』
自分『よかったら来られます?』
相手『どうしようかな』
自分『今確認したら飛び込みもオッケーですって』
自分『無理せず都合あえばってことで』
相手『考えとく、雨振らないといいね』
自分『ホントですね』

上記のような会話をすることが重要だと思っている

ではなぜ僕はsampleAのように書いてしまうのか
そもそも個人的にテキストベースでの情報のやり取りは端的であるべきだという考えだ
sampleBのほうが言葉一つ一つであれば端的なキャッチボールとして成立しているように見える
しかし、相手がある程度のキャッチボールをしてくれることを期待しないと成立しないテキストでもある
①で会話としてキャッチボールをするよという意思表示があることで花火の話ができ、更に誘うタイミングとしては②の『人混みが苦手』という言葉をきっかけに、友人宅で見るからワチャワチャせずにゆっくり見れますよ、という話の切り出し方ができる
ただ、これはデメリットがあって、花火を見ましょうと誘うのに①と②の関門を突破しないと誘う文言を出すことができない
もっと無理して誘うことはできるかもしれないが、明らかに嫌がっているし、返事もないのに誘うのも変だろうとなる
そこで、返事あったら要件を簡潔に伝えようとした結果sampleAのようになる

結論の一つとしてどっちがいいとなると、正直なところsampleAもsampleBも成功率はどっちも変わらない
結局伝えたいことが伝わっていて、お互いに悪い気がなければ成功するからだ

しかし個人的にはsampleBのようなコミュニケーションを羨ましいと思う
こういうダラダラとしたテキストのやり取りに憧れるからだ
一つ一つの言葉では何も理解するのが難しくともひとかたまりのテキストとすれば構造的に意味がわかるという奥深さもあるように見える

もう一つ自分がsampleBをできない理由としては自分が見た目よりもずっとせかせかとした性格だということも関係している
sampleBの余韻で楽しむようなゆとりのある人間ではない
①では相手がユーモアを出してくれることに助けられているが
[sampleC]

自分『こんにちわ』
相手『こんにちわ』
自分『夏、花火の季節』
相手『なんかあったの?』③
自分『最近夕立多いなと思って』④
相手『めっちゃ雨降るよね』
相手『異常気象?』
自分『ここ数年異常に暑いし変ですよね』
相手『陰謀論?』
自分『まさか、小さい頃はこんな暑い印象なかったなって』
相手『やっぱ、2025年に地球が終わるってこと』
自分『陰謀論好きなんじゃないですか』
相手『え?ソンナコトナイヨ』

完全に話が脱線してしまって、花火を誘う隙間がなくなってしまった
③で花火大会についてのことを切り出せばいいのに④のように花火と少し遠いところの話題を設定してしまったことによって、本筋から切り離されている
sampleCも会話としては多分見ようによっては好意的に見える
しかし本題の花火を誘うという目的は達成できていない
このようなってしまうことを恐れている
しかし達成されなくとも会話は楽しめているのだしこれでもいいのではないか

リモートワークやテキストコミュニケーションが主体になったこの世の中では、テキストの中でユーモアと花のあるチャットが必要だと感じている
あったほうが息苦しくない

sampleAをもう一度見てみる

自分『こんにちわ』
相手『こんにちわ』
自分『次の日曜日友人の家で花火大会見ようと話してて、何人か来るみたいなんですが、興味あったら一緒にどうですか?』
相手 スタンプ

やはり全然可愛くないし花もない

以下のように改行してはどうか
[sampleA-2]

自分『こんにちわ』
相手『こんにちわ』
自分『次の日曜日友人の家で花火大会見ようかって話してて』
自分『誰きても良いらしく、空調きいた部屋で花火見ません?』
相手 スタンプ

多分印象は少し違うだろうが、ほとんど同じではないだろうか
そういう意味ではもっといい表現があるにせよこれはこれ以上飛躍的にユーモアなどを追加するのは難しいと考えている

何が問題なのか
これをしていると勘違いされるのではないかと思うことがある
『あの人怖い人なんじゃない?』とか『あの人冷たいよね』とか『空気読まないよね』とか、そういう意味での勘違いである
勘違いをされても問題ない仕事の上のことについては齟齬がないように詰めた会話として有利だと考えている
しかしふと考えるのだ、仕事は何もミッションをこなすだけのことではないのだ、と
目標やビジョンを達成するためには沢山の人と関わって、お願いをしてお願いをされて、できることをしっかりとやるということが重要なのだと
コミュニケーションは談笑をすることではないが、それも大事なコミュニケーションである、偏見や勘違いも当然あるだろうが、小さいフリクションは早めに解消したほうがいい
だから、sampleAのような要件だけを伝えるテキストはコミュニケーションとして成立していないように感じる
普段の仕事のSlackを眺めていると圧倒的にsampleB的なコミュニケーションのほうが多い
そして和気あいあいとしていて、たまにsampleCのようになって仕事が進んでいないことも観測はするが、緊急性がない場合は別にそれでも構わないだと思う
社会的な人間関係では人間関係が最も重要であり、ミッションの遂行が一番重要度が高いものではない
人は長い付き合いを前提として生きているようだが、僕にあまりそういう意識がないことが問題だ

そして人間関係はこのようにしてsampleAのような断絶するコミュニケーションは得意なようにできていないようだ
一を聞いて十を知る、という言葉があるが、それを期待してはいけないのだ
花火を一緒に見ようということに関してはsampleAでなんの問題もないが、そこで分かる状況というのは提案内容だけだ
sampleBのように会話ができればそれ以外の背景もわかる
花火大会といえば夏祭りだと思っていること、中止になった花火大会の会場の人の期待が消沈したことをかわいそうと思っていること、人混みが苦手なこと、などなど
それらはsampleAではわからないことだ
普通に生きていると、十のことを知ろうと思ったらそれなりの割合を聞かないと想像できないということだ
僕たちは超能力者では無いから

だからsampleBのようなのほほんとしたチャットができる人を尊敬する
こういうものができればいいなとも思う、返事を待つ時間ヤキモキしたくない
ヨルシカの新曲のMVが話題であった、なんでもない日常というものをきっとかつてあったから余計に羨ましく思っている


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なので結果的に自分はsampleAのようなアプローチになっちゃう
許してほしい

許してほしいこれが僕の夢ってやつだ
銀河鉄道のレールを作るって言うこの仕事は
想像していた以上にやりがいのある仕事です
あらかじめ決められたレールをただ走るのではなく
自分でそのレールを 作っていけるのだから

(銀河鉄道の夜-不可思議wonderboyより一部引用)


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