終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

チャリ 井口 消えた今

世の中が暗いニュースばかりだし、僕も暗いニュースばかり書いているので、バカみたいな話を書こうと思い。
こんにちわ、僕です。

少々エモい話になるんですが、皆さんは世界ってどのぐらいの広さだと思いますか?
もちろん僕たちの頃なら百科事典や、科学の本を読めば面積は載っていたし、知ることもできたわけですが、実感として『人と会える距離』が世界の広さだと思っていました。
今もあんまり変わんないんですが。
それで、高校生の頃の僕は、自分は有名ではありませんでしたが和歌山市内の県立高校にいて、ふてくされた毎日を過ごしました。
その頃は自分があまりにもコンピューターが好きだったので、MMXPentium233MHz / 32M /3.2GHDD のマシンで、Diabloをやったり、Photoshop4を触ったり(アンドゥが一回しかできなかった)そんな毎日を送っていたわけです。
インターネットあまりに使いすぎるので電話台がバカ高くなって父親から何度も怒られて禁止されたりしたので、なんとかしてインターネットしたいと思ってモニョモニョ色々やったりしていました。
そのぐらいインターネットは不便だったし、でも楽しかった。
オフ会も15歳で行ったし、出会ったおっさんおばさんは優しくしてくれて良かった。

まぁ、世界の距離なんて意識したこともなかった。
『世界、っていう言葉がある。
私は中学の頃まで、世界っていうのはケイタイの電波が届く場所なんだって漠然と思っていた。
でも、どうしてだろう。私のケイタイはだれにも届かない。』ほしのこえより)
このフレーズを聞いた瞬間僕の内側の何かが爆発するまで。(確か19歳のとき)


ほしのこえ 予告編 (The Voices of a Distant Star)

爆発した僕は高校生の自分を思い出していた。

僕が住んでいたのは和歌山市紀の川の近くで、毎日のように友人や知らない人間がたくさん溜まっていた。
その御蔭で随分隣りにいた弟は僕にキレていたようだけれども。
6畳もない部屋に多いときで10人以上がその場にいた。(部屋にはベッドも、小学校のときに使っていた学習机があったりした。フリースペースは2.5場といったところ)
なんだかよくわからんカオスがそこにはあって、単純に場所があって人が来ていた。
実家はムダに広いので、玄関から僕の部屋がちょうど対角線上にあり、廊下でつながって入るがあまりにもみんな堂々と入ってくるので、家族は誰も止めなかった。
玄関→廊下→階段→廊下→一番奥の部屋

その中で固定メンバーという感じで男5人がよく集まっっていた。
全員違う後攻で、学年も同学年が一人と3人は年上だったように思う。
完全に僕を含めそいつらは狂っていて、夜中まで何が面白いのかさっぱりわからんがとにかくよく集まってどんちゃんしていた。高校生時代。
友だちというには人となりを知らないままに近い距離になりすぎていたし、知らない人と言うにはあまりにも近すぎた。
今思うと楽しい時間帯だった。

そのうちの一人が井口というのだけれども、そいつが夜中になると奇妙なことを言うことがよくあり、例えば『公園に行こう』『線路を走りたい』みたいなことで。
その日はいつになくおそらくテンションが高かったのだろう。
突然『自転車で行けるところまで行こう!』と言い始めた。
何を行っているのかわからないが、と思ったけれども、とにかくみんな準備を始め、自転車にまたがった。
もちろん全員ママチャリのようなものである。
チャリで来たのコピペのずっと前である。


先にうろおぼえながらどこに行ったのかを示したいと思う。
和歌山市(中心地)→打田→加太→和歌山市(中心地)

https://i.gyazo.com/a646e964ffb42af9be144cf101396724.png

というルートを深夜に爆走した。
プランなんてなかった。


冷静にあとから考えるととんでもない距離を走っているんだけれども、当時は携帯電話も普及していなかったし、誰も時計をまともに所有していなかったので、正確な時間はわからないが、加太についたときはまだ深夜で、そしてすごい雨が降ってきた。
そもそもどんちゃん騒ぎすぎてさっぱり行程は憶えていないのだが、夜中に爆走する高校生5人組をおまわりさんはよく止めなかったなと思う。
ワーワー言いながらとにかく堤防を走った。暗闇である。
今改めて上の図を見ると相当なスピードでチャリで走らないと無理な距離だな、これ。
思い出補正はあったとしても、いやしかし別日ではなかった。

そして雨の中、多分明け方なんだけどまだ暗く、コンクリートの加太の港にへたり込んだあと、我々は銘々に何かを叫んでいた。
何を叫んだのかは憶えていない。

結局、自転車で移動できる範囲が自分たちの世界への理解の限界なんだと、思い知らされたのだと思う。
僕は、結局その後上京するものの、主に目的地と家しか往復しない準引きこもりになったし、物事を知らない頭でっかちなまま37歳になっていまを生きている。
弟二人はちゃんとまっとうと言える人生を送っていると思う。
5人のうちまともっぽいのは一人で結婚して幸せそうだ。
井口は音信不通で行方がわからない。

 

僕たちがきちんと自分の世界を知ることができるようになるまで、一体どのぐらい賢くなるなる必要があるのだろう?
それとも、ある一定の歳を重ねたら理解できるようになろうだろうか?

17歳の少年の自分に37歳の自分から伝えられることは『怒られなくてよかったな』ということかなと。
本当に、ドラッグややばい何かではなく、ナチュラルにハイだったんだろうな。

しかし一晩で本当に約60キロを走破したのだろうか?

ノンフィクションです。