終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

長文

暑すぎて、外に出て帰ってきてお酒を飲むだけで、ベロベロになります。
こんにちわ僕です。

ふと気がついたのですけれども、僕の周りには結構人がいて、幸せそうに見えるときと、いざっていうときにもちろんいざっているときにも何通りかあると思うんですけど、そうですね、いざ飲みに行こう、ぐらいのいざっていうときに誘える人がいないなって思ったりしてます。
飲みに行きたいなっていうのは、ひらめきに近いので、今と思ったら今しかないんですけど、それがかなわない人生がなんだか寂しいなと。
僕は上手にしゃべることができないのですが、それよりも一人でお酒を飲むことのほうが下手くそなので、誰かについてもらって話を聞いてもらったりしてもらうほうが、正しいお酒のペースを保って飲める気がしています。
でも、結果ボッチなので、一人で晩酌することが多いのですが。

乾杯

父がなくなってから約10年、祖父がなくなってから約5年が経ちました。
唐突なんですが、父には姉がいて、その方の旦那さん、つまりまぁ、おじさんがいるんですけど、僕は割とそのおじさんが好きなんです。
でも、弟二人はそんな事なく、割とおじさんが苦手だったり無関心だったりするんですが。
まぁ、そんな中でも僕はおじs何が好きで、ただまぁ、こうやって誰かに話すことはなかったので、描いてみようかなと思いました。

まぁ、いわゆる町内会のドンみたいに見えるような恰幅が良いおっちゃんなのですが、父よりも随分歳上なはずなので、もう70代だと思うのですが、今でもはつらつとしています。
そのおじさんから先程電話があり、『おまんは盆どうすんの?帰ってきーひんのか?』みたいなことを聞かれ『そうですね、今年も帰れそうにないですね』みたいな話を僕はしていたんです。
僕は長男で、お盆ぐらい実家に帰れよと、帰ったところで家が大変なのはおばさん(父の姉)が、確認して知ってるけど、とりあえず、仏さん(仏壇)をなんとかしろ、と。
仏壇の話はまぁ、家のことなのでインターネットに書くようなことではないのですが、僕が同じところに住み続けていればじゃぁ、遠いですけど東京持ってきますか、みたいに思ってもいいと思うんですけど、それができなくて。(あと2週ほどで引っ越しますし、去年も引っ越しました)
まぁ、色々あって放置を決め込んでいるわけです。
誰もそれについて突っ込まないというか突っ込めないところ、ちゃんと起こってくれるのがおじさんしかもういないわけで。
そのへんをわかっているのだけど、わからないふりをして、僕に起こってくれるので、ああ、この人はまぁ、いい人なんだな、と。
おじさんは、死んだ撲の祖父にお世話になったのだ、と人づてに聞いているので、そういうこともあるのかもしれないけれど、それを加味しても、年に1度ぐらいは電話をくれます。僕たちと言ってますが、僕にきっと何か期待してくれているのでしょうか。。。そこまではわかりませんが。
とにかく僕はそのおじさんが隅々まで怒ってくれるので、短い電話の中に、まだ残っている自分の両親みたいなものから発せられる悪いことを言い訳みたいに述べるわけです。
そう考えると、おじさんからすれば僕はさっぱり好きな人類ではないかもしれますが、まぁ、そこは僕が幼いということで、なんとか許していただきたい。

そのおじさんが電話の中で、『嫁さんはよ?』と聞いてくるので『いませんよー』と返したところ『いませんよじゃないやろ、結婚せぇよ』というので『できてたらしてますよ』といって僕は笑いました。『なんでや?』と聞いてくるので『まぁ、うまく行かなくて』といったら『そうか、うまくいかんか・・・』といってくれまして『そうなんですよ』とかなんとか言って笑って、その後いくつかのことについて話をして電話を置きました。
結婚なぁ、と。
ホワイトベルグを片手にこれを書いているんですが、たしかに僕の周りには結婚している人間がどんどん少なくなっていく。(こうかくと結婚していく人が増えているようだがそうではなく、結婚していく人が離れ、結婚していない人間が集まってきているということです)
まともな社会性があれば僕ももう少しまともに見える人間だったのかもしれませんが、ずいぶん遠くに来てしまったものです。

最近ツイッターなどで、婚活垢っていうのをよく見かけて、右往左往していたり、一喜一憂したりしているさまを見て『人間だなー』とか思うわけなんですけど、僕も人間です。
彼や彼女が幸せになればいいなと思いつつ、たまにDMとかするんですけど、どうしても会いませんか?ってならなくて、その会いませんか?ってならない言い訳をたくさん持ってて、何ならだんだん人間と会うことも億劫になってきているので、そのための言い訳をたくさん用意したり。
急速にもともと希薄だった社会性がもっと希薄になってきているのを自覚していて、ほとんどの事柄について無関心だし、無教養だし、無駄だし、みたいに信じてしまって、ぼくは、早めに世界一周の旅をするという自殺の場所を求めるたびに出るべきなのかもしれないな、とかふと思います。
ただ、別に騎士概念が強いわけではなく、ハイカロリーな生活に疲れてしまっているだけだと、そのように認識しているので、好奇心はないのかと聞かれればおそらくあります。

閑話休題

人と付き合う距離がどんどん下手くそになっていて、自分が嫌いなはずのものに頼っているような毎日です。
まぁ本来的にはスキも嫌いもないと思うのですが。

なんかもう色々難しいなと。
セックスは好きですけど、色々考えなきゃいけなくて面倒に思ってきて、まぁ、それならちょっと我慢して一人でするか、とか。
それこそ性風俗に行けばいいのかもしれないけれども、そういうところに行ったことがないので、怖がっていけないとか。
そもそもいったところで、なんかわけのわからない背徳感しか持たないのでは?とか。
キャバクラに行ったことがないわけではないけれども、正直誰かに連れて行ってもらって楽しいところでもないと。っ子つけているわけではなく、この雑記の通り、話したいことや伝えたいことなんて一つもないと。

ホストもやってみたいなと思いながら、それはまぁ、正直トイレ掃除や雑多なことが嫌いじゃないっていうのもあり。
でも一番楽しいのは一緒にお酒飲んで、おごってもらってうぇーいってすることだっていうのは知っていて。
可愛い格好をしているときは、そういうタイミングもあるし、だから、なんというか大人な時間を過ごしている時間よりも、そういう子供っぽい時間を生きている方が楽しいなと。ホストにある憧れっているのは、どれだけパーティーを続けられるかってことなんじゃないかと。
どれだけシリアスなことを普段つぶやいていても、接客のタイミングの前からアップを初めて、その場所をお葬式にしないためにどんな努力ができるかっていうチャレンジ何じゃないかと。
でもね、ローランドさんとかみてても、やっぱり数字。どこを見ても今は数字。最初に数字がある。誰だよこんな価値観植え付けたボケは。

だからね、世の中はもう数字でしか動いていない。そう思うと、今まで話していた全部無になって苦しくて、楽しそうなことも全部数字に割って、私の戦闘力は1500万です。あなたはー、、、5000兆ですか。。。みたいな世界観をやめたくて。
でもいつの間にか、そういう数字から逃れられないと信じてしまっている。
僕自身を作り変えない限り、自分がしあわせになれない限り、僕は幸せにならない。
その幸せは誰かが運んできてくれるものじゃない。自分dね探して見つけて、大事にしなきゃいけない、そう思ってる。

祖父は、太平洋戦争から生還した人だけど、色んな人にすごいって言われるけど、よく考えたら僕の祖父なので、まぁ、別にすごかーないと。
僕はでも祖父を尊敬していて、祖父は次男なんですけど、戦争から帰ってきたら、何もなかったと。家がなく、家族は少し離れたところにいたと。で、当時実家は問屋?(卸?)みたいなことを少ししていたようで、家がないなら作ろう、死後tがないなら作ろうって、まぁ和歌山でやったらしい。本当にそのとおりやっていて、本当にそのへんはすごい、パワーしかない。
とにかくないものは作れと。家なんてあの人何件立てたかわからないし、事業だっていくつやったかわからない。
地味な人だった。
ぼくはでも、そういうおじいさんに憧れている部分が確かにあるし、切り離したい部分もたくさんある。

おじさんに『和歌山帰ってこいよ』と言われたけど、もう、帰る場所じゃないんだよ、あそこは廃墟だよ。と僕は思った。
光熱費は毎月払っているし、火災保険にも入っていたはずだけど、それでも、ね。

僕の中で和歌山という土地は、思い出しかない。
楽しかった。苦しかった。小さかったし、馬鹿だった。僕自身が。

しめる言葉は見つからんのだけど、実は今日はキャリコンと言うサービスの面談というナの電話があると言われていて、それで電話を待っていたんだけど、来ませんでした。
一応マッチングサービスらしいのだけど。。。男性が無料っていう不思議なサービスで、よく見たら二村さん(女装と女子会主催)みたいな人が関わってるやつで、なんか闇かねぇ、とおもって、でもまぁ、普通に申し込みして、そしたら審査があると。
で、その審査の電話(面談?)が今日来るはずが、21時までなんだけど、まだこないと。(現在19時46分)
そんな感じでございまして暇だな、ということもあり、久しぶりに長文を書きました。

ちゃんちゃん。