終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

蛍光灯買ってシェービングクリーム買って

日用品についての値段について日夜研究している人が居るけれど、僕はあまり興味が無い。お金があれば買えばいいしお金が無ければそのまま買わないという選択肢で、必要最低限自分が贅沢をしていけるならそれが一番いいと思っているからだ。人からは無駄遣いをしているように見えているかもしれないけれど、意外とそんなことはない。ただ、もちろん無駄なものは買っている。買って何回かしかシャッターを落としていないデジイチとか。でもべつにそれで自分の生活が豊かになっているのだから不必要なモノとは言えないんじゃない?

そんなことはどうでもよくて、蛍光灯とか電球とかシェービングクリームとかカミソリの替え刃とかは同居人が僕が家賃を払う代わりに買ってくれていたので、自分で買うのは久しぶりだった。まだ住んでいるので言えば買ってくれるのだろうけれども、そういうことでいちいち機嫌を損ねるのも面倒だし、幸い僕は時間を持て余しているので近所のダイエーに行くぐらい何という事はないのだが。久しぶりに自分で買うと『成程これはこのぐらいの値段をするものなんだな』と驚かされる。

台所の蛍光灯がつくようになったので、チャーハンを作って食べた。久しぶりに自分で鍋を振っているような気がして懐かしくなった。味はいつも通りだった。具は卵だけ(賞味期限はひと月過ぎている)

洗い物をしながら、これからの事を考えたが、いきなり何か変わることはきっとないのだろうと思った。せいぜいゴミの日を覚えなくてはいけなくて、頼り切っていた消耗品をどこで買うのか教えてもらって、新しい恋人を探すのだろう。そういうのが日常になっていくことがどのぐらい自分にとって違和感を覚えることなのか今は未だわからない。

今気が付いたのだけれどもはてなブログは右下に文字カウンターがついて今どのぐらい文章を書いているのかわかるようになっているらしい。この機能付ける前にもっと使いやすいUIにしてくれればいいのになって思った。特に書き込むときが最低で、はてダと同じようにしてほしいなって思った。まぁ、考え方の違いなんだろう。

きっと慣れる。いつか慣れる。不在が当たり前になる。

さびしくは、なる。