終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

雑記#20190118

こんにちわ、僕です。

先生とそのお布団、を読了し、ぼんやりと部屋の隅っこを眺めていました。
とても良かったのですが、僕にはそれをうまく伝える手段を見つけられません。

 

先生とそのお布団 (ガガガ文庫)
 

 

僕は今また生きる上で何十回目か何百回目なのかわかりませんが分岐点に立たされているなと思います。
いつもそういう時のことを忘れてしまいます。
苦しかったことや、ギリギリだったときのことを、僕は完全にいつも忘れてしまいます。
人生において、後で、とか、次は、ということはなくて、今しかないと考えているのです。

カラオケの名前を記帳するときに、十代が並ぶ中で、30代を示したときの背徳感のようなものを未だに引きずっています。
昨年末に僕のオタク活動の中心にいる、宇宙さんのバンドのメンバーの方が『ホテルで自分の年齢書いたときにおじいちゃんなんだなって感じたよ』って言っている気持ちが少しだけ分かります。

ずっとずっと昔の自分はたくさんのことを世界に期待していました。
でも、そんな期待はことごとく粉砕されてきた過去があります。
そのたびに僕は世界からは不要なものだよと言われているような気がしていました。
あながち間違いではないことをそろそろ自認し、調和を受け入れるべき時期なのかもしれないです。

生きていて立ち止まるときは、いつも不安とわからないことで息苦しい気がします。
毎日が成功で満ちている人生なんてものはないのかもしれません。
苦しいこともあり、それが人生なのだということはできるかもしれません。
しかし、僕はやっぱり人間ですから、苦しくない人生がほしいなと思います。

ここ最近ずっと家にこもってYouTubeを看るか、外に出て人と会うだけの毎日です。
僕は、風邪も引いていないし、それなりに楽しくやっているように考えていました。
けれども、隠しても鉛筆の芯はすり減っていくし、今を観測する自分が弱ってしまうことによって、睡眠がとても長いです。
体に不調がないのに、ほとんど仕事もしていないのに、精神だけが著しく細り弱っているような気がします。

いいかげんにしろよ、しっかりしなさいよ。という声が聞こえてきそうですが、できるなら僕もそうしたい。
弱音を吐くためだけにブログがあるわけではないです。
痰壺みたいな無意味なテキストを保存しておくための場所が欲しい。
よく考えたら、それが僕にとってのインターネットだったじゃないですか。
僕なんて、といつもしょげてしまいますが、いつの時代も君は大丈夫だよって、言ってくれる人間なんていなかったじゃないですか。
僕にとっては、少し先か、少し前の自分が自分に向かって、そんなことはないよ。と言ってくれるのが世界なのだという気がします。

沢山の人に祝福してもらって、声をかけてもらって、でも関係がうまく続けられないのって、僕に根本的な問題があって。
でも地震にその課題をクリアする気がなく、インスタントな感情だけで乗り切っていくつもりなら、僕は生き方としてそれしかできない。
多くの友人がいるはずなのに、真正面から対峙することが怖くて、斜に構えてかっこつけている。

古い友人から『お前には友だちがいないからな』と言われたときに、正直どこか少し安心をしました。

僕は年下の女の子がすきです。
そのことについては特になんの考えもなく、単純に年下の可愛い女の子が好きだ、という事象のみが存在しています。

大事な人について書こうと思ったんですが、書いてしまうとなんだか陳腐ですね。

先生とそのお布団、を読んで、石川先生が求めているものってなんなんだろうなって改めて思いました。
僕は石川先生の本が好きで、できればすべて文庫で買いたいのですけれども、電子版が出ているものについては、電子版で買っています。
去年読んだものは、『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと』しか記憶に無いのですが、それも石川先生の作品です。
僕がふと過去を思いふけったときに、石川先生の作品を思い出すことが多いです。

石川先生の独特の世界観を知りたいと思って、多くの作品を旅したこともあります。
無意味でした。読者はじっと待つことしかできないのです。
2017年の作品を2019年に改めて見つけて買うぐらい、書店に行かなくなった僕です。

僕は会社をはじめましたが、まだほとんど取引という取引もなく、宙ぶらりんに部屋の中でゆらゆらしています。
大きな花火を上げたいという華やかな淡い期待はどんどん小さくなりました。
眼の前にある、明日死ぬかもしれないなというひんやりとしたギリギリの位置で、僕はどうにか踏みとどまっています。

幻聴で、『ヴゥゥゥゥー』という、ケイタイがバイブする音が聞こえます。
僕は明らかに何かに悩ませれているのですが、その正体はつかめません。
やりたいこともわからなければ、生きていく指針すら怪しい毎日です。

中二病を四半世紀近く続けることになるとは思いませんでした。

まぁ、なんとかやっていくんじゃないでしょうか。