終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

LOVE ME DOLL を見てきたよ

命とは何だろう。
2045年問題ってご存知ですか?今から27年ぐらいあとに、AIが人間を追い越すんじゃないかっていわれているんですよ。私は生きていませんが、悔しいですね。そのときどんな世界になるのか、想像できませんが・・・。このお話は今から3000年後の話です。私たちはすぐ目の前の事は想像できないというのに、3000年先なら自由に想像ができる、不思議なものです』
朝倉先生の口上で、物語は始まります。

LOVE ME DOLL を見てきました。
3/24・3/25で、計4公演を見てきたわけですが、率直な感想としては、お尻が痛かったディストピアと、希望を捨てずに成長していく主人公の冒険譚だなと。そんな風に書いてしまうとあっさりしすぎていて、本当に何も感想にならないのですけれども。

どういう切り口でいくかっていうことを考えているうちに時間だけがどんどん過ぎていって、4回見たのにどんどん風化するのでこの辺で書いておきたいなと思ってはいて、
そう、なんというか、全部入り、なのですよね。
1時間45分という限られた時間の中で朝倉薫という人間が描きたかった側面のひとつを全部入れたお話なんだと僕は感じました。
いっぱい矛盾があり、いろんな消化不良があり、だけど、そこはこの舞台についてはあまり言及しても仕方がないのです。
あえて言えばそれでも語れない見えない、知りたい、という欲求について答えがないから、最後はお客さんに委ねるのだなと。
だから、最後の大千秋楽で、今川宇宙さん演じる主人公と、ヒロインのドール(失礼、名前を失念してしまいました)が、希望に向かって飛び込む瞬間で暗転して舞台が終わるタイミングで拍手が起こったのは最高の瞬間だったんじゃないかなって感じました。
その瞬間がどうなるのかっていうのは僕たちに選択肢が委ねられていて、そこでようやく舞台は完成するのだと。

上演台本を買ったのでそのうち詳しいところは言及できるかもしれませんが、まぁ、たぶんしないと思います。
人生ですよ。いろんな人生が枝分かれをして、そのうちの一つしかわれわれは見ることができない。
いくつもの無数の可能性の内一つを選択し続けながら生きている。
僕は土日という時間を無限の可能性の中から今川宇宙さんの舞台を見に行くという選択肢を選んだわけです。
そうしたら、まぁ、そこには人生があって、その人生の分岐の中で、最後の最後に、希望があった。
朝倉先生はほっとされたんじゃないでしょうか。

僕のような若輩(というには年を取りすぎてしまった)がいうことではないのですが、朝倉先生、僕ももう27年もすれば62歳ですよ。
もう壮年と呼ぶにふさわしい年齢になってしまいます。
生まれてから、今までよりもずっと短い時間でそこに到達してしまうのだと思うと、時間とはなんと不思議なんだと思いますね。
僕がきちんと今自分のできる可能性についてきっちり考えることができているだろうか。
そんな風に不安になったりします。

今川宇宙さんのことが僕は好きです。

彼女の可能性は見ているとはらはらします。でも心配はしないです。壊れてしまってつぶれてしまうんじゃないだろうか。そんな風に思っていた時期もありました。それからこれから先もそう思うこともあると思います。
今はそうは不思議と思わないのです。
ずっと走り続けているけれども、息抜きはあるかもしれないけれども、もう少しの間はペースさえ見つけられれば進んでいく気がするので。それから、僕は残念なことに今川宇宙さんの親しい何かではありませんから、心配しても仕方ないのです。

そうですね、いつか親しい人になれたらいいなと思っています。

LOVE ME DOLL は朝倉先生がまたやりたいと思ったら、また再演されるんじゃないでしょうか。
そのときにはぜひ見に行っていただきたいと思いました。

僕が、若い才能がー本当にーすばらしくーとか書くと本当に陳腐なので、やめておきます。

僕にも生きてる理由とか、がむしゃらになれることとか、必死に守りたいものとか、できるといいですが、まだ僕はちょっと見つからず探してるみたいです。