終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

2011-05-02 (月) に書かれた日記

いろんなことを想像する。
『あれがこうだったら、これがああなって。あっちがこうならきっとこれはこうで。僕がどうだったら彼はどんな風で……∞』
僕たちは言葉を持っている。
話すこともこうやって書き記すこともできる。
それは、日本語を知っている人たちの合言葉のようで、言葉がかみ合えば理解できる符号のようなものだ。
たった、一億と3千万人としか意思の疎通ができない不便な道具。
だけど1000年前の人や、もしかすると1000年後の誰かと一方通行の意志を伝えることのできる唯一の手段。
バーニーエクレストンは『英語のできないものとは話す価値がない』と言ったそうだ。
なんとなくわかる。僕だって『日本語のできない人と話す価値はない』そういえる。
エクレストンの言葉が神秘的で、僕の言葉が負け犬っぽく聞こえるのは、それは仕方のないこと。僕はまだ何にも勝っていないし、誰とも明るみで一戦を交えていないのだ。

想像するに当たり、いろんな力が必要になるような気がしている。
これからどうやって生きていくのか、誰と過ごす時間が有効であるのか、メリット・デメリット、それに付随するクソくらえ。差別とかそういうちんけなことじゃなくて本当にくそくらえだ。僕は誰とでも一緒にいることは無駄ではないと思うし、ほかの可能性に賭けることなんかしない。そこにあるのであればそのチャンスについて夢を見るだけだ。僕は夢を見ている。いきなり終わる理不尽な夢だ。例えばそれは明日、例えばそれは50年後。例えば、誰かに、自分で、突然に。
でも夢を見ている事だけは間違いない。
夢と想像は違う。想像することは努力を必要とする。そのためには言語の壁は越えてみせる。知らないことは知らなければならないし、だからそのための努力はする。

誰もが夢を見ている。
怖い夢であることもある。もちろん楽しいこともある。いやな汗をかく事もある。冷たい金属の感触が、自分の体を這っているような感覚がすることだってある。それが氷の時もあれば、カイロのように心地よいものであることもある。
でもそれは夢なんだ。目を閉じなくても目の前の風景は夢なんだ。怖くなっても目を閉じても、そこに戻ってくる。逃げることなんてできない。立たなくてはならない。へたり込んでもそこではだれも手を差し伸べてくれることなんかない。夢の中では、僕以外は、もしくはあなた以外はすべて夢の住人だから、誰もあなたの言葉に耳を貸してくれない。みな世迷言だと思っている。だから想像しなければならない。うまく踊らなければならない。率先して手を差し伸べるんだ。そうすればきっと夢の中であって、いくら怖くなっても、どんな暗闇が来ても、笑うことができると思う。

人が死んだりするのは、どうしてもつらい。
それは表情がなくなるから。耳障りな鼻歌も、下世話な話も、くだらないうんちくも、へたっぴなギターも、全部なくなるから。
僕にも祖母が居た。
前にも書いたかもしれない。
少し違う方向から書こうと思う。
自分の話だ。当時の僕は大学院という学生のような何かでしかなくて、毎日を、不眠とそれを諌めるだけのお酒と、車とインターネットで成り立たせていた。不摂生ここに極めり、という感じだ。しかし、母親に呼び出され、そう考えると僕はまだあの頃大学生だったのかもしれない。実は祖母が亡くなった時のことをよく覚えていない。
夢の中だったからかもしれない。祖母が危ないという話を聞き、まだ大丈夫だろうと悠長に構えていた僕は、しかし研究室の仕事を少し早めに終わらせて、実家に向かった。
実家に帰ると、まだ祖母は意識があって、少しの話ならできた。
しかし以前の元気さの見る影もなく白くなった祖母は、たくさんの管を付けられ、いかにも病人だった。
1週間がたったら東京に戻ろう、そう思って、やっぱり眠れない夜が続いた。
夢の中で生きているのだろう。僕は真っ暗な闇に閉ざされる眠りを欲していたから、おまじないのように飲む眠剤で、その日も眠りについた。
しかし、大慌てで母が僕の扉を開き、それから大きな声で僕を読んだ。弟も呼ぶ。『病院に行く』そして母は先に出て、僕と弟は父の車に乗ったような気がする。
いつも物語は急展開だ。祖母は息を引き取った。僕は父の横で病院のベンチに座って、しっかりと覚醒した意識の上で、いくつかの事を父に聞いた気がする。
病室の中では、親戚中の知らない顔も知っている人もが泣いていた。入れ代わり立ち代わり人が入っては出て行った。入口は一つしかなく、それは入り口でもあり、出口でもあった。
僕のそれからは残された祖父の運転手になった。祖父は最後まで祖母の手を離さなかった。
けれど、祖父は祖母が出棺して、火葬場についた後、家に帰りたいといって、一人その場を去った。通夜の夜も祖父は葬儀社にはいなかった。僕は祖父に言われ家に帰っていた。『なんでそんな過剰に悲しくさせるようにするんよなぁ……』声に力なく、祖父が言った。
時間ちょうどで祖父をのせて火葬場に戻ってきた僕は、助手席に乗った祖父の手を取って、骨を拾いに行った。
火葬場では手慣れた手つきで、係員の人が様々なことを教えてくれた。僕は何も覚えていない。
そこにはもう何もなかった。さっきまでの祖母の形をした何かさえもうなかった。
だから、もう祖母はいないのだと思った。
僕は深い眠りを求めた。光の届かないほど深い眠りが欲しいと思った。永遠に日々が続いていくんだと思っていた。
高校の時に自転車で、雲一つない空の下、同級生と自転車をかっ飛ばしていたことを思い出した。そこには光しかなかった。
でも僕はビルの影も、社会の慌ただしさも少しだけ知ってしまっていた。

夢なんだと思う。醒め続けている。夢なんだろう。ヴィンセントが言っていた『正常と異常の境界線など、誰にわかる。ふとしたきっかけで入れ替わらないなんて、誰が言える。狂っているのはきっと、世界の方さ』(正確ではないです) そんなセリフをよく思い出す。

でも、その夢の中で、生きている。
それから、くるくると踊っている。
祖父はまだ、元気です。