終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

時間の無駄

ぼくからポエムをとったら何も残らない。
ぼくの書く文章は意味を成さないし、ポエティックに見えるが、ただの散文だ。
3月の冷たい雨の朝、ぼくはまだ人のいないホームから電車に乗った。
薄着で出てきてしまったから、電車の中でもずっと寒いままだった。
乗り換えの駅でぼんやりと歩いていると、ちょうど電車が滑り込んできた。
急ぐ理由なんてないのにぼくは電車に乗り込み、眠い目をこする。
会社の最寄り駅について、まだ7時半であることは奇跡かもしれないと思った。
地上出口を出てすぐそばにあるドーナツ屋にはいって、朝食をとる。
こんな風にドーナツとコーヒーをとっていると、1973年のピンボールを思い出す。
ひどく文章が冷たい話だ。
主人公は何か思いつめたように毎日を過ごしている。
つまるところ、ぼくには小説を読む力がない。
同時に刹那的に生きているぼくは刹那的な小説の読み方しかできない。
そこに秘められた思いも、封じ込められた物語もわからない。
ぼくはあるがままを感じ、あるがままを受け入れることしかできない。

3月がもう少しで終わる。2016年はどんな年にしようと、思っていた元旦の朝の気持ちをもう思い出せない。
毎日を生きていくことで精一杯だ。
毎日は違っているのに、何故か、ここではない、どこかに行きたいと思っている自分がいる。
今じゃない自分がほしいと思っている自分がいる。
肥大化した自分の生活をコンパクトにまとめたいと思っている。
できないから、困っている。
自分の歩むべき道はどこにあるのだろう。
自分が歩いてきたあしあとは残っているだろうか。
満潮で、消えてしまっているのではないだろうか。
昔の恋人を思い出した。
ぼくはひどいことをして、それからうまく別れられなくて、ずっと傷つけてばかりだった。
ぼくはおそらく今も昔も人を傷つける。
上手に踊ることができない。いや、別に上手に踊る必要なんてないのかもしれない。
ただ、人の手のひらの上でぼんやりとくるくる回されているだけでもいいのだけれども。
それすらも許されないから。『君は君自信の足でステップを踏むんだ』
そんなふうに言われている気がする。

ぼくの両足はすくんで立ち止まったままだ。
春になった。桜も咲きかけている。
いつまでもセンチメンタルな気持ちでいることは、自分が幸せにならない。
好きな人かどうかもわからないけれども、ぼくは無闇と好意を人に求めている。
迷惑な話だ。けど等身大の自分は、インターネットを始めた日、
いや、高校受験に失敗した自分と何も変わっていない。
ずっと自分の目は冷たくなっただけだ。
乾いた笑い声も、心が冷たくて、幼いままで、自然に笑えるようになる努力もしないままで。

いろんな毎日があっていいじゃないか。
センチメンタルなのは夜だけじゃないんだよ。
朝から仕事をして一段落したぼくは、曇り空の下、背伸びをして、思う。