終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

終末はすぐそこに来ている気がする

とてつもない閉塞感と、窮屈な空気の中で僕たちは息をしなければいけない。

弱い者いじめをしてはいけないよ、と小さなころ小学生の先生やいろんな大人から言い聞かせられてきたが、そんな彼らがいま弱い者いじめをしているのではないだろうか。質の悪いことに、小学校中学校のそれとは比にならないほどに陰湿で薄暗く、いや、もう闇と言っていい。
今年は圧迫された空気で年が始まっている。
いろんなスキャンダルと、事故、それからそれらを拡散するメディアの対応の仕方。下げ止まらない日経平均。まるで何かを潰しにかかっているようじゃないか。
テレビ部屋メディアのクローズアップされる誇張された事実、視聴者をわざわざ辟易する構成。
誰の指示でこんなひどい時代ができてしまったのだろう。全体の空気でそうなっているのだとしたらこの世の中はもう終わりかけているというか、もう終わっているのだと感じる。
今年のバルスは2016年から本格的に瓦解する日本の合図なのかもしれない。
2020年まではまだ景気はなんとかなると言っているけれども、本当にそうだろうか。
スポーツの祭典は、前回の熱狂と同じレベル感で行われるだろうか。いろんなミスが重なってひどいことになるのではないだろうか。日本の緊張の糸は2020まで持つだろうか。

そんな僕は33歳なのだけれども、もう全然若くはないのだけれども、もっと上の人達からすれば、まだまだ若い年齢なので、今の時代、40代でもまだまだ若いので、60代の母でさえ若いということで、何かが狂っているなって思う。何かは狂っていても、世の中は進行しようとする。いや、時間はまってはくれない。
だからどれだけ世の中がひどいことになっても時間は許してくれない。
時間とは観測している人間がいるから成立するのだという、考え方がある。
なので人間がいなくなれば時間という概念がなくなり、意識から消えるのだと。
急き立てるように次々に何かを精算するかのように良くないことが起こっていく。良くないことを人間から忘れさせないように、何かの災害、人災から20年が父ました、なんてことが流れてくる。僕たちは後何十年、そういう悲劇と向き合っていなければならないのだろうか。記念日なんかじゃない。忘れたいわけじゃない。でも開放されてもいいんじゃないかって思う。
そんなんじゃ、時間に囚われたままだぜ。
アイドルだって、いつかは結婚するし、おばあちゃんになるんだ。
人生を通してずっとベストポジションが続くわけじゃない。

人間は社会的ないきものだと言われているけれども、今の時代は社会を強制されている気がする。
会社の出社時間なんてどうでもいいはずだ。でも生産効率が上がらないのは円滑なコミュニケーションがないからだと考える、例えばわざわざすごく早い時間に朝会をやったりする。朝会はいいけど、それでモチベーションが上がっているのかってことだ。
そうやって強要されることが多すぎる気がする。
効率化したいのなら、それ以外のところを疑問に考えてもいいだろう。
トライアンドエラーをするだけの余裕が無いのだ。とても健全だとは思えない。
代謝の良い社会が健全だと思う。今の日本はどうだろう。健全なのだろうか。代謝が良さそうだったクックパッドは、古くからの大企業の大塚家具は、表面化してないだけで、鬱屈した関係がたくさんあるのではないだろうか。

弟が家を買った。大きな家だ。和歌山でサラリーマンをしている。太陽光で電気を売って、その分をローンに回すそうだ。もちろんそれだけでは足りないので給与からもローンはひかれるらしいのだけれども。それは素晴らしいね、と思うと同時に、そういうチャレンジをしてこなかった自分が言うのも何だけど、怖いなって思う。だから、この社会が壊れないように、せめて彼ら家族が幸せに暮らせる世の中に在ってほしいなと思う。
幸せが壊されないためにみんな頑張っている。
僕はみんなという言葉は好きじゃない。
でも、そのみんなに、メディアの人を入れてもいいのか悩む。ヒカキンの動画を見た。ひどくつまらないものだった。それでも彼は成功者だ。多くの人がヒカキンになりたがっている。
ヒカキンはコンテンツビルダーではあるけれども、youtubeという枠の中に閉じられている。
そう、我々は結局のところ何かの枠の中でしか生きることができない。多くの人間は。
その幾つもの枠組を作っている誰かの手によって、平和は瓦解するかもしれない。こういうのを陰謀論と呼ぶのだろうか。

たくさんのクリアすべき課題がある。大人数が同時操作をしてもポケモンはクリア出来た。人間に不可能はあるかもしれないが、今嘆くべきところではない。
石油だって、いつかはなくなる。
鉄などの資源だってそのうち枯渇する。
何もかもがなくなる日が来る。その時僕はいないだろうが。
そうまでして人間は何を夢見る。もう見た夢はほとんどが現実になったんじゃないの。目処が付いて、ホッとしてるんじゃないの。
想像力は、そんなに爆発的に拡張されるものではないのだと思う。

鬱屈している。
それはもう人類がある程度の来るべき所まで来てしまったのだ。
イノベーションがあっても、それは、もはや必然なのだ。
新しい世界について、本当に誰もが望んでいる世界があるだろうか。

答えはノーだと思う。次の世代に夢を見ることが難しくなっているのだ。

けれどもそれは僕が結婚もしていないし、子供も持っていない、サラリーマンですらないし、社会との関係も希薄だからないのかもしれない。
自分をうまく評価することほど難しいことはないなと思う。

この閉塞感を打破できるぐらいのインパクトの有る何かが起きないと世の中は本当に終了してしまうかもしれない。
僕は終末論者となる。