世界の果てで終末を待つだけの雑記

患った中二病は30代になっても僕を蝕む

春雨と季節折々の恋愛と平坦な心

春雨に思うことは、いつも出会いよりも別れの思い出と、一人でいたこと。桜を見るたび雨に踏まれた花びらが、汚くアスファルトの隅に溜まっていることを思い出して、前を向かなきゃ、現実はこんなにも残酷なんだよって、思い出させられる。


今年は東京では雪だるまができるほど雪が積もりませんでした。あとひと月で4月がまた来て、東京にまた来て一年になります。何回和歌山に帰ったのかはわからないのですけれども、結構な回数和歌山に帰ったなって思っていて、それに比べて今年は穏やかに、あっという間に時間が過ぎていきます。自分の思いとは裏腹に全然豊かじゃない自分がいて、春が来ることが怖いって思っています。毎年を迎えるのが怖いなんてまるで老人にでもなったかのような物言いだなって思うんですが、間違いなく年は取っているわけです。なんとなく年齢詐称したくなるのは、嘘をつきたいわけじゃないのに、嘘になってしまうのは、それは仕方のないことなのかもしれないなって思いました。

例えば女子高生だって22歳だって同じで、30よりも若い人が好きなんです。年齢で弾かれるとしになったのです。なんかそれは、出会い系をやっていると直感的にわかることで、昔のように遊んでないのは昔のように遊べる環境がなくなってしまったからで、もう僕は選ぶ側から選ばれる側になってしまったのだということです。でもそう思うとスッキリ恋愛もしなくなるのかと思ったら大間違いで、友人が言うのです。『春には春の、夏には夏の恋愛をしよう』と。そんな片思いばっかりしていたら死んでしまうぜ、ただでさえメンヘラなのに、メンヘラが加速する!!!とか思ったのですけれども、まぁそんなのどうでもよくて、実際問題自分も選ぶ側になっているのかもしれないなって思ったりします。結局持ちつ持たれつな関係っていうものに疲れている自分がいたりするので、誰かに寄りかかることを許してもらわないと、この病からは立ち直れないのだと思います。


意味不明な文章を書くのはストレス発散になるからです。それから持て余した行き場のない感情のはけ口にもなります。恋愛をしているとそれはそれで生きているという実感を忘れることもできるのですけれども、何より誰かに恋をすることで、焦がれることで患っているし焦がれている状態になって、現実の自分のことについて鏡を見るまで忘れることができるから。

別れは突然来るので、構えることができなくて、困惑します。
デュラララの園原杏里がいったセリフ『誰かに依存してるほうが楽ですから寄生虫ですから』『何も変わらないそれが非日常なんです』という言葉が胸の中でぐるぐるととぐろを巻いているのです。

 

 

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