終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

二人とか疲れとか

二人がきっと寂しくないように…

 

僕は二人という概念について随分悩んでいる。おなかがすいたとき、食卓を囲むとき、家族が居るとき、どこか自分じゃない自分いるようなきがしていた。その時間がすぐにいなくなってしまうという事を知っているからなのか、それともただ単純に居心地の悪さみたいなものを自分自身が感じているからなのか、その辺については全く分からない。もしくは分かっているのだけれども、自分が居心地の悪さについて認めたくない所が在るのかもしれない。

 

小さい頃の記憶を辿ると、どうしても食卓に結びつく。5人で食べる夜ご飯は当たり前で、小さい頃にはよく鍋をした。父親が好きだったという事も在るのだろうけれども、いや、多分父親が好きだったからだろう。もしくは母親が父親との距離感がうまくとれなかったように、父親も母親との距離をうまくとれなかったからだろう。鍋にする事でいろんな事が解消される。例えば聞く事は具材だけで良くなるし、コミュニケーションんは出来るだけ最小にしていたような気がする。自分が思っている以上に自分は何かに夢中になる事は無かったが、豆腐を食べるときは必死だったような気がする。あと、春菊が好きだ。どうでも良いのだけれども。

 

良い父親と母親になろうと二人とも努力をしていたんだと思う。けれども、父親は経営者で、守るべきものが家族だけでなくたくさん在った。会社が小さくなっていく事で最初はこじ奮闘していたように思うけれども、最後の数年について、彼が様々な事について諦めをもっていた事を僕は知っている。彼は今の僕と同じようにひとからの意見を取り入れる事無く、余計なものはシャットアウトしてしまっていた。ひとりぼっちになったとき、ようやく彼は自分の愛すべき物が何も無かった事に気がついたんじゃないだろうか。彼には激情が在ったけれども、でも僕と本当に良く似ていて、人並みのユーモアも人並みの幸せも気がつかなかったんだろうと思う。全能感とか神にも等しい存在であると思っていたのではないかと思う。分からないけれども。母親は大きくなってから優しいと思えるようになった。でも彼女の優しさは僕には少しすぎたものだった。出来る事なら小さな頃にもっと優しくしてほしかった。これは甘えなのかもしれないけれども、僕はよく考えると、言葉で何かを理解する事はしなかった。言語化されないうやむやなもの有象無象が僕を取り囲んでそのどうでも良いものが僕に知恵をくれていたように思う。神童ではなかったけれども、頭のやたら切れる五月蝿いガキだったのは間違いない。僕は当時から不器用だった。

 

いろんな事を始めてみたら、自分の知らない事がいっぱいになって、今自分の脳みそは処理が追いつかない状況にあって、これからは言語化してどんどん自分なりの理解をしていかねばならないと思っているのだけれども、こういうもやもやした感情を言語化するのは相当骨の折れる作業だと思っている。訓練が必要だ。

 

久しぶりに輪るピングドラムを見返したのだけれども、幾原監督の想いって言うものがそこにぶち込まれているみたいですごく重かった。いろんな下敷きが在るのは分かるのだけれども、その下敷きって本当に重いなって。運命を乗り換えられたとして。僕は壊す側の人間だと思っている。だからもしかするとさねとし先生の方が僕に近いのかもしれない。

 

でもね、僕にはそこまでの力は無いような気がずっとしているんです。自分に何が出来るのか、って。