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世界の果てで終末を待つだけの雑記

患った中二病は30代になっても僕を蝕む

やりたいことってなんだっけ::小説を書く前の悶々とした気持ち

小説をここ2年ほどかけていない、いや、正しくは完結させていない。

 

いろんな言い訳をしているのだけれども、事実として時間の流れが底にあって、それをしていない自分がいる。いい加減書きたいと思っているのだけれども思うばかりで一文字もかけていない。

『君の小説は私小説にちょっとフィクションを加えただけで全く面白くないんだよ』

と友人から評されても書くのをやめなかったのに、もしかすると面白いものを書かなくてはいけないという今更の強迫観念からかけていないのかとかかってに分析してみるが、これは全く意味のないこと。だがしかしとにかくかけないということはなくて書いていないだけというよりも、でもでもやっぱり考えているとかけていないのだからかけないって素直に認めちゃったほうがいいのかもしれない。

仕事やデザインや音楽やプロジェクトを持つことを楽しいと思っているのだけれども、それっていうのは自分とうまく向き合わないためのツールとして使っていたのだとしたら、僕は最低な人間だなっていう感じに思ってしまうわけです。どれだけクソつまんん悪ても書くのをやめなかった昔の自分のことをずっと羨ましがってる、それこそ老害なんじゃないかって思ったり。本の一握りの読者の方をないがしろにするようなかきっぱなしの作家にだけはなりたくなかったのに、それを自分がやってしまっているような気がして変な気持ちになる。ずっとkindleでも本を出していないし、あれは誤字脱字が多すぎるのでちゃんとやり直したものを新装版で出したい気持ちはある。でも気持ちだけで何になるというのだろう。

何でもかんでも関係させるのは良くないと思うのだけれども仕事も同じように思っているようなフシがあってほんとうに良くないなって思う。しゃべり方も昔よりもずっと可愛げが無くなってしまった。ただのおっさんだしこういうのは他所でやったらいいんじゃないかなって思った。僕じゃない誰かがやればよい。しかし、人格が変わるぐらいのことはいろいろあったわけだし、そういう変化に自分が自分でついていけていないだけということも在るのかもしれない。それはそれですごく問題が根深いし、できればそういうことって歳を重ねると他人から指摘されなくなる事項なのでちゃんと自分で律していかねばならないなぁ、と思ったりなどする。

 

 普通にこの音源がほしい。

もともと宇多田ヒカルが好きだったわけじゃないんだけど、宇多田ヒカルって偉大だと思うし、全然サウンドは色褪せない。そういうアーティストなんだって思った時に、まるで村上春樹みたいなタイトルでトリビュートコンピが出るんだからすごいなって思う。ちなみに村上春樹、全然最新作は読んでいない。たまに世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを思い出す。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 もうこういう作品は書かないのかなって思うと、少しいろんなことが変わってしまったのかもしれないなって思う。

最近は本を読まないことを本を買わないことと紐付けて考えてしまうのだけれども、それっって間違っていて読むべき本や自分が好きでまだ知らない作家っていっぱいいるはずだと思ってる。

本屋さんは広大で、図書館の蔵書は自分の一生をかけても読みきれない活字であふれている。僕と同じようなクソブログが世の中を闊歩していて、そんな文字だって読みたいのに全然見つけられない。僕には幸運にもこのブログの読者さんが19人もいるわけなのだけれども、その人達に何か提供できるのかなって思うほど自分の生活はバリエーションに富んだ面白おかしいものではない。自分が真摯に一つのものについてじっくりと腰を据えて書くタイプの作家でないことはわかっている。

できれば毎日面白おかしく生きていたいなんてことも思っているぐらい、不真面目で不摂生であるが、同じぐらいクソ真面目な部分もあったりするから人生ってややこしいなって思う。

 

 石川博品氏が認められていて、このラノの5以下なんかにこの作品が入った。正直びっくりした。ネルリみたいな鋭さはないけれどもやっぱり彼は彼だし彼の作品は面白いなって。僕の中のヒーローはいつも不定で、不動の一位はいない。

だから今の一位は彼ではなく横槍メンゴ氏だ。

 

 マジクズ。すごいと思う。大好き。

 

とりあえず小説書きたいと思う。