終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

アーティストっていうのは職業ではないという事

来月で32になるのだけれども、15の頃から表現を続けていて、ずっと悩みというか悶々としていた事にさっきちょっと終止符を打った。

まだまだ悩み続けると思うし、自分の在り方がそれで何か変わる訳ではないのだけれども、結局自分って何だろうって思ったときに、『○○です』と、いえない事が不便で仕方ない。自己紹介もままならないし、誰かから紹介される時も、『山崎君はねー、えっと、なんだっけ、まぁ、色々できる人』見たいに紹介される事が多い。何ができるのか分からない。

僕は、今日から自分の事を、アーティスト、もしくは、クリエイター、と名乗る事にしました。

ずいぶん遅い気付きね、と思われるかもしれませ何が、そろそろいいだろうと。

圧倒的なマインドの差

15−21ぐらいまでゆるゆると舞台演劇をやっていたのだけれども、表現とは自分のできない事を突きつけられる事なのだな、と初めて舞台の上で声を出したときに漠然と気がついた。

できない事は当たり前の事だ、そう、自分に投げかけるのだけれども、少年の自分は万能であり、何でもできると信じていたから、それはそれは相当に苦しかった。自分ができない事を他の人間は平然とできる。これは今でもそうなのだけれども、すごいと思える事をさらっとやってしまう人間に遭遇すると、本当にかなわないなと思った。

18で上京して専門学校に入ったときに、周りは僕よりも何もできない集団だった。だから僕はその人たちの質問に全部答えて、僕のできる少ない引き出しを全部あけて対応した。何かを成したいっていう人は、結構多くて、クラスの半分はそういうマインドだったと思う。何かを目指して、自分がその何かと同じ物を作れるようになる。同じ舞台に立てるようになる、そう夢を持っている人が多かった。

けれど僕は違和感があった。何かを目指す事っていうのはそこで頭打ちになる事じゃないのか?って。もしそこを超えたら本当に次の到達目標を据えられるのか。そんな心配をしていた。

20になって大学に入った。専門とは違う、本当に緩い空間だった。誰もがアーティスト気取りで、いるだけで自分は圧倒的に認められているのだという風に見えた。僕がこの人は、危ない、ヤバい、すごくいいと思った人は、もれなく自己否定から物作りをする人間だったように思う。

今の自分ではない、違う何かと自分になっていくような気がする。その為の制作ではない、これは通り過ぎる何かだ、しかしこれはこれで受け止めていく。そういう『誰かになりたい像』がある人間では無かった。『あるがままの自分』が、きちんと自分自身が納得して肯定できるようになろうと努力しているように見えた。そこにもちろん才能はあった。

僕は、サラリーマンに向いているのは圧倒的に専門学校生だと思う。美大生のほんの一部は扱いづらいアーティストだし、その他烏合の衆は、勝ち抜いてきたっていうだけの何もできないひよっこだからだ。

積み重ねができる事

やっていく事とは、途中で放棄して投げ出して新しい事を始める事ではない。

飽きたらやめてしまえばいいんだよ。と、それは子供の真理だ。あとはやっぱりその考え方は甘い。

どれだけ追いつめられて、もがき苦しんでも、それはただの入り口だし、作り続ける事と、終わらせる事は一つの筋道である。終わりの設定は人によって様々だから、誰かの真似をする事も無い。始まりも終わりも自分が納得しさえすれば、人に説明する事は容易だし、それが積み重ねになる。

できない事は沢山ある、失敗も挫折も沢山あるが、正直、成功とは何だと考えた時、やってきた事のほとんどは何らかの角度から見ると失敗であると気がつくはずである。

失敗は怖い。そして失敗をしたくない気持ちは分かる。けれども、その失敗は、乗り越えていくしか無い。成功と失敗は表裏一体である。

僕だけの話しをすれば、それらはいちいち反省したり後悔したりする必要が無い。その時間はもったいないから次のプロジェクトを始めるべきだと考えている。反省はどこかで細切れにして自分で飲み込めるようにちゃんと租借をゆっくりすればいい、僕はそう思う。

固執をしない事

企業に入ると、過去の成功体験をもとにビジネスをしようとするところが多い。というかほとんどはそうだ。

誰しもが忘れているのだけれども、殿創業者も最初から経営のプロだった訳ではない。もちろん中には天才的に素質があってという人間もいるだろうが、それは稀だ。

少ない成功体験の中から、再現性のある事をしようと努力を企業はする。サラリーマンはその当時を再現しようとがんばる。そしてまた小さなビジネス的成功体験がそこにある。

しかし、そこにチャレンジはあるのだろうか。

未知なる領域しか無い分野で戦っているだろうか。

そう考えると、企業のその多くが如何に保守的で固くまとまっている物だという事に気がつくだろう。これはこういうロジックだから、こうしなければいけない。これは、別に悪くない。しかしチャレンジではない。反復である。

そして、多くのベンチャーはそのようにして企業のアイデンティティを知らぬうちに持っている。何屋なのか、どのような会社なのか。きちんと説明ができる。僕とは違う。つまりサラリーマンなのだ。

ヤマハという企業がある。また、富士フィルムという企業がある。僕の知っている会社できちんとベンチャーなのはいくつかある中でもこの二つの頭のおかしさは、良いと思う。この二つは当然ベンチャー企業ではないのだけれども。

固執をしてしまうと、弊害としては、本当に変化がなくなるという事だ。

変化しない安定した会社に、僕は魅力を感じていない。

僕がアーティストだと自認した事

僕は何でもやる。売れる売れないとか気にする事はあまり無い。これを揺っては駄目、これをやっては駄目、これはこうじゃないといけない。そういうルールは自分の中ではあるのだけれども、それを強要する事が無い。

そして、僕は圧倒的精神的迷子だった。だから自己否定の仕方も、自己肯定の仕方も分からなかった。

ただ、いくら物を作っていないとはいえ、それでも物はどんどんたまっていく、過去の実績は積み上げである。それを常に否定して、見ない振りをして、できるだけオリジナルを模索して、納得させてきた。

それを、昨夜ぼんやりとポートフォリオを整理しながら、ようやく自分が『何をやってもいいのだ』と、結論づけた。

そこには、有無をいわせない自己肯定があった。僕はずっと迷子だったが、自分はアーティストであり、物作りをするクリエイターである。ただし、自分よりも圧倒的に精度の高い物を作る人間が世の中に入るという事を知っている。しかしアーティストとは、なんだ。

僕はアーティストを定義する。

『チャレンジをし、ゼロから始める事ができ終わらせ、そしてしっかりそれらを肯定できる事』

だと。

アーティストとは職業ではなく、生き方なのではないかと思っている。だから職業ではない。しかし僕は自分をアーティストだと定義づけた。しかも物作りをしていく人間であるから、クリエイターでもあるとした。しかしそれはやはり漠然としている、それは職業ではない。

 

何をする事も怖くない。いや人並みよりは少ないかもしれないが怖い。しかしそんな怖さよりも、僕はドキドキを楽しみたい。だから仕事は何でもいい。物を作っていく事について、垣根は無い。

明日にはボルダリングの石の設置とかをしているのかもしれない。