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世界の果てで終末を待つだけの雑記

患った中二病は30代になっても僕を蝕む

12年

一回りだ。

東京に出て来た時のことを未だに覚えている。小さいものや車に詰め込めるものはインプレッサに積んで、父親が東名を走ってくれた。その時未だ僕は透明を一度も走ったことがなかった。明け方の高速道路、朝日で目が覚めて、父親はそれでもハンドルを握るのをやめなかった。今考えると、とても強い父親だった。ボクでは絶対にできない運転をしていた。いくつかのサービスエリアにとまって、温かいお茶を飲んで、前もってすでに契約していた下宿先に止めて荷物を運び入れた。

洗濯機や冷蔵庫なんかはゾクゾクと届いた。布団もあった。何もかもが新しかった。何もかもをやり直せると思った。2週間ボクは誰とも電話以外で口を利かなかった。誰も知り合いが居なかった。落ち着ける場所はその駒込の下宿先だけだった。だからすぐにインターネットを引いて、チャットにハマった。

古い家だった。虫が出すぎるぐらいに出る家だった。でもその家に専門学校の友人たちが来て、一杯遊んだ。あれほどまでに精一杯遊んだのは初めてだったのかもしれない。未だ規制が始まる前のきのこにハマってる奴、RUSHにハマってるやつ。ダメな奴がいっぱいいた。だけどそんな中でボクはそういうことをほとんどしないでライトに遊んだ。すごく、すごく楽しかった。ロシア人の友達がいた。彼は今どうしているのだろう。

色んな所から出来ててる奴がいた。色んな所に戻っていくか、色んな所に散っていった。

ボクは大学生になって、専門学校から付き合っている恋人と、なんだかんだ3年ほどを一緒に過ごした、半同棲もした。きつい2年間だった。でも楽しかった。車も買った。思い出はいっぱいあるけど、此処にはちょっと足りないから描かない。辛いことが多かった。でもやっぱり楽しかった。

大学院生になって、恋人もいなくなって、女遊びもあんまりしなくなって、近いおじさんたちと週に何日も飲むようになった。ストーカーもされた。郵便受けにぐちゃぐちゃになったドーナツが突っ込まれていたときは本当に怖かった。自分から命を絶とうとしたこともあった。淵野辺の家ではいろんなことがあった。普通に日常だった。何もかもが普通で、ただ過ぎていくのが惜しいぐらいに豊かな生活だった。

あるとき知り合った女の子がもっと家が近いほうがいいから、と言って不動産屋と契約してこ前に移り住んだ。家賃が3万円ぐらい上がってすごく辛かったけど、幸せのためなら、と思って、だけど正月明けて戻ってくると誰も居なかった。ボクは冬を、一人で乗り切った。その家にも3年ぐらいいたんじゃないかと思う。1LDKの部屋に、今はもう居ないけれどもぼくの最後の恋人と一緒に住んでいた。

もっと広い家にと言って次に借りた家は川崎だった。家賃が5千円ぐらい上がる代わりに20平米ぐらい広くなった。だけど、彼女もその年の12月に出て行った。一昨年のことだ。残されたボクはがむしゃらに仕事をした。父親が死んで、悲しいとか辛いとかそんなことはどうでもいいぐらいに忙しかった。がむしゃらだった。でもその会社も去年閉じた。

ボクはサラリーマンになった。世田谷に家を借りた。女装をした。一人の子に目が釘付けになって初めて男の人と恋仲になった。ただ、長くは続かなかった。

 

ボクは多分5月ぐらいには東京を去ると思う。

一周りして色んな物が変わってしまった。

いろんな人がボクを通り抜けていった。未だとどまってくれている人もいる。

いま、ボクはすごく寂しい。この寂しさを共有できないのが辛い。あまりにも東京での生活が充実しすぎていて、良い人が周りにいてくれていたせいで、此処を離れたくないと思ってる。結果的に恋人は居なくても、ボクは充実すぎるぐらい充実していた。

胸にぽっかり穴がって言うけれども、抉られてそこにはもうなんにもなくなってしまったかのように辛い。

ボクは東京という街に来られてよかった。

未だもう少しいるけれど、もうほとんどチェックメイトだ。

 

あんまりに唐突な幕引きだから、僕もちょっと驚いてる。

だからか、余計に寂しいんだろうな。