終末を待つだけの雑記

永久に青春を感じる中年がお届けします

主人のいない部屋に帰ってくるということはとても寂しいことなのだ。多分。

実家、というか、もう今は誰も住んでいない家なので、生家といった方がいいだろうか。

和歌山にあるのだけれども、16時頃に帰ってきた。表が長い時間を過ごした生家で裏にも家があってそっちにはおじいさんが一人で住んでいる。元々はこの生家の方に今年の5月まで父親が住んでいたので、なくなったので、今はもう誰もいないということだ。

昨日の夜に無理をして何もせず、ただ朝がくるまで今朝まで起きて、始発近い新幹線に飛び乗って西宮に行った。西宮には母親が住んでいてそこから車で和歌山に何となく送ってもらう手はずだったのだが、僕が泥のように眠ってしまい、出発したのはすでに3時前になっていた。 やっぱり寝ないというのはよくないということなのだろうか。

新幹線は自分が乗った便以降はすべて満席になっていて、帰りも同じようなことが起こるのだろうと思うとげんなりして、グリーン車で帰ろうかと思った。

 

この後は友人たちと、男ばかりでとりあえず2012年を待ちながら飲み続けて、30になる年がくるのをじっと待つことになると思う。いろいろなことがいろいろあって、いろいろ空転している。でもその色々はたぶんそんな悪意に満ちたものではなく、誰かの善意だったり思いだったりするのかもしれない。よかれと思って、だけど、実を結ばないことがこの世の中には多すぎるのだ。人間はそんな理不尽さに耐えきれるだけの器用さはきっと持ち合わせていないのだと思う。

ただ、来年がいい年であればなとは思う。それは誰が運んでくれるものなのかはわからないけれど。

いや、きっと自分でつかみ取るのだろう。

それでは、よい年を。